殊に応桑田の一匡邑の近くには魚が濃く、同じ釣り場に幾回毛鈎を打っても跳ね上がってくる。法政大学村の中央を流れる熊川の山女魚は大きい。
“一匡邑(一匡村)”の解説
一匡村(いっきょうむら、一匡邑、一匤邑)は、大正12年に東京大学関係者によって、群馬県吾妻郡応桑村北軽井沢に作られた別荘地。別荘地全体の設計は西村伊作によるものと言われており、近隣の千ヶ滝や星野温泉の別荘地と異なり、山小屋風のデザインに統一された建物が点在するしゃれた景観になっていた(現在はほとんどの別荘が建てなおされている)。昭和3年に近隣にできた法政大学村(通称・大学村)とともに、北軽井沢別荘地のはしりになった。法政大学村と違って分譲地ではなく、十数人の発起人による共同登記で始められており、各別荘に風呂はなく、共同浴場があった。
(出典:Wikipedia)
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