“なかがわじゅんあん”の漢字の書き方と例文
語句割合
中川淳庵100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
良沢を盟主となし玄白のほかになお中川淳庵なかがわじゅんあん桂川甫周かつらがわほしゅう石川玄常いしかわげんじょう、およびその他の人々が相寄ってこの書の翻訳ほんやくに従事することとなり、その後四箇年を費し稿を改めること十一回に及んで
杉田玄白 (新字新仮名) / 石原純(著)
今年の元旦の『大阪朝日』に笠原かさはら医学博士が前野良沢まえのりょうたくとゲエテとの事を書かれた美しい一文を読むと、良沢が明和八年四月四日に千住せんじゅ骨ヶ原こつがはら杉田玄白すぎたげんぱく中川淳庵なかがわじゅんあんと、婦人の死屍ししの解剖に立会い
新婦人協会の請願運動 (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
賀茂眞淵かものまぶちから国学を学び、服部南郭や石島筑波から修辞を習い、更に江戸幕府の官医田村藍水から本草ほんぞう学を一層詳しく学び、その間に当時名高かった杉田玄白、中川淳庵なかがわじゅんあん太田蜀山人おおたしょくさんじん、松田元長
平賀源内 (新字新仮名) / 石原純(著)