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じゃくあ
ふりがな文庫
“じゃくあ”の漢字の書き方と例文
語句
割合
寂阿
100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
寂阿
(逆引き)
探題英時に
与
(
くみ
)
して、菊池
寂阿
(
じゃくあ
)
を自滅させた少弐妙恵と大友の入道
具簡
(
ぐかん
)
も、こんどは、阿蘇、菊池の
諸豪
(
しょごう
)
に伍して、共に、探題攻め包囲軍中にいたのである。
私本太平記:11 筑紫帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
口に
名号
(
みょうごう
)
をとなえ、指に水晶の
数珠
(
ずず
)
をツマぐっているかと見えたが、やがて、
寂阿
(
じゃくあ
)
入道菊池武時の首と隣して、死すとも父子一座として寄り添っているかのような
私本太平記:06 八荒帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
これを拝して
起
(
た
)
ったのは、当年まだ四十二の
寂阿
(
じゃくあ
)
入道菊池武時——すなわち今の武敏の父だった。
私本太平記:11 筑紫帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
亡き菊池
寂阿
(
じゃくあ
)
(武時)には、たくさんな子があり、
元弘
(
げんこう
)
の博多合戦で、父
寂阿
(
じゃくあ
)
と共に討死したのもあるが、みな父の遺志をついで、後醍醐の
召
(
めし
)
に応じ、中央へ出て二心なき戦功をあげている。
私本太平記:11 筑紫帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「では察していたとおり、
媼
(
おうな
)
はやはり菊池
寂阿
(
じゃくあ
)
(武時)の後家だったか」
私本太平記:06 八荒帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「肥後の
寂阿
(
じゃくあ
)
でおざる。ただいま
伺候
(
しこう
)
つかまつッた」
私本太平記:06 八荒帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
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