“しらかわらくおう”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
白河楽翁80.0%
白川楽翁20.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
その時代は、この祖父の室リキ子が白河楽翁しらかわらくおう侯の養母清照院せいしょういんの侍女であったことを挙げればわかる。
加波山 (新字新仮名) / 服部之総(著)
寛斎は久しく昌平黌しょうへいこうの教官と林家の塾頭を兼ねていたが、天明の末白河楽翁しらかわらくおう公の学制を改革するに際して、職を辞し浅草あさくさの某処に移った後、やがて神田かんだ玉ヶ池たまがいけ江湖こうこ詩社を開いた。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
しかして寛政かんせい白川楽翁しらかわらくおう松平定信まつだいらさだのぶ〕の施政は多少の反動的風潮を帯びていたので、かえって蘭学を抑えたような傾向もあるが、すでに日本に植付けられし洋学は年一年に成長に向い