“がっぴ”の漢字の書き方と例文
語句割合
合淝100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
この荊州の南郡から襄陽じょうよう合淝がっぴの二城をつらねた地方は、曹操にとって、今は、重要なる国防の外郭線とはなった。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
呉の主力は、呉侯孫権の直属として、赤壁の大勝後は、その余勢をもって、合淝がっぴの城(安徽省あんきしょう・肥)を攻めていた。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「いやいや、まだ先には、合淝がっぴの城がある。合淝を攻めるときは、それがしの如く、一番乗りをし給え」
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
劉劭りゅうしょうを大将として、江夏こうかの方面へ急派し、田予でんよに一大軍をさずけて襄陽を救わせた。そして曹叡みずからは、満寵まんちょうそのほかの大将を従えて、合淝がっぴの城へ進出した。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
曹操は全軍を引いて都へ帰り、孫権は秣陵まつりょうへ引揚げたものの、その前線濡須の口も、魏の境界、合淝がっぴの守りも、双方ともいよいよ堅固に堅固を加え合うばかりだった。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
魏をおびやかすことしきりでしたが、魏主曹叡そうえいもまた合淝がっぴまで出陣し、満寵まんちょう、田予、劉劭りゅうしょうの諸将をよく督して、ついに呉軍の先鋒を巣湖そうこに撃砕し、呉の兵船兵糧の損害は甚大でした。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)