高野こうや)” の例文
紀州有田川の源流へ高野こうやの坊主輩が便利する、由ってこの川の年魚あゆが特に肥え美味だなど伝うると等しく多少拠る所があったものか。
高野こうやの道場にこもるおつもりなのか? ……そして浮世うきよ未練みれんをもたぬため、いさぎよく、わざとじぶんにも会わず、父とも名のらず
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その後、大峰に三度、葛城かつらぎに二度、高野こうや粉川こがわ金峰山きんぷせん白山はくさん、立山、富士のたけ、伊豆、箱根、信濃の戸隠とがくし、出羽の羽黒など、日本全国くまなく廻り修行した。
「ウフフ。どうだよ、伝あにい。まずざっとこんなものだ。むっつり右門の目が光ったとなると、事は早いよ。野郎め、お槍をひっかついで高野こうやへとっ走ったぜ」
吾々は紀伊の各地を伝って、旅を高野こうやの山寺で結ぼうとした。実にその夜のことであった。私たちは民藝館の設立をはかり、おそくまで心を躍らせてそのことを語り合った。
民芸四十年 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
小金吾問へば「檀那、お聞なすつて下さいまし、村の者から預つて来た、高野こうやへ納める祠堂金しどうきんの廿両、この袷の間へ入れて置いたのがございません、さあ大変だ、金がねえ」
同寺から高野こうやへ送った武田家品物の目録書の稿の中に、飯縄本尊ならびに法次第一冊信玄公御随身みずいしんとあることが甲斐国志かいこくし巻七十六に見えているから、飯綱の法も行ったか知れぬ。
魔法修行者 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
立ち尽していると頭上ずじょうで御祈祷鳥が鳴く、御岳山の御祈祷鳥は高野こうやの奥に鳴くという仏法僧。
高野こうやの弘法大師のことだと思っていましたが、歴史の弘法大師は三十三の歳に、支那で仏法の修業をして帰って来てから、三十年の間に高野山を開き、むつかしい多くの書物を残し
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
今から十日以内に阪地はんちで落ち合おう、そうしていっしょに高野こうや登りをやろう、もし時日じじつが許すなら、伊勢から名古屋へまわろう、と取りきめた時、どっちも指定すべき場所をもたないので
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
それは今の季節の京都に必ずなくてはならぬひがいの焼いたの、ふなの子なます明石鯛あかしだいのう塩、それから高野こうや豆腐の白醤油煮しろしょうゆにに、柔かい卵色湯葉と真青な莢豌豆さやえんどうの煮しめというような物であった。
黒髪 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
高野こうや豆腐を一つ煮るのにもなかなか面倒な講釈をする老人は、このとしの若い妾を仕込むのに煮焚にたきの道をやかましく云って、今ではお久の料理でなければ口に合わないと云うほどなので
蓼喰う虫 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
言葉を知らないものにとっては、初めのうちは世界の都、巴里も、高野こうやの奥の院位いのさびしさであった。カフェーやレストウランで、大勢が何かやっているが、自分には何の影響もない事だった。
楢重雑筆 (新字新仮名) / 小出楢重(著)
罐詰かんづめでしたらかりんにはちの子、それに高野こうや豆腐だの氷餅こおりもちだの。」
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
「あなたは、高野こうや御家中ごかちゅうでござりますね」
南北の東海道四谷怪談 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
酒旗しゅき高し高野こうやふもとあゆの里
五百句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
高野こうやのお山は
蛍の灯台 (新字旧仮名) / 野口雨情(著)
高野こうや
俳人蕪村 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
また、かくいうも、このことばは自分ひとりのげんばかりではない。ある夜、高野こうやをひそかにくだられたそれがしとよぶ御僧みそうのすすめもあるのである。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
紀州の高野こうやの麓の鞆淵ともぶち村あたりでは、昔木樵きこりがあって三人の男の子を持っていた。
北畠親房や四条隆資たかすけらが、運びをつけていたもので、さらにここから、高野こうやへおうつりの議もあったが、その議は止み、ここ吉野の山上を、以後
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
昔ならば叡山えいざん高野こうやへでも送るか、しからざれば永年武者修業でもした挙句あげくに、どこかで槍先の功名を現わすというところであるが、新領主の方から、在所におりたくば純然たる農になれ
家の話 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
嵯峨さが淳和じゅんな、白河などの勅願もあり、堂塔三千八百坊、東北の高野こうやといわれたという規模や沿革を、ここでは述べきれないし、ぼくの専門ではない。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
うけたまわれば、弁ノ殿には、これより紀州きしゅう高野こうや播磨はりま大山寺たいせんじ伯耆ほうき大社たいしゃ、越前の平泉寺などへ、内々の綸旨りんじをおびて、忍びやかに御廻国のよし。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
後に、この公義は、高野こうやへ入って、僧になっていたことが世にわかった。けれど師直師泰のふたりにはもうこの歌が誘う真実なさけびもまにあわなかった。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
浄悪じょうあくすべてをつつむ八よう蓮華れんげの秘密のみね——高野こうやの奥には、数多あまたの武人が弓矢を捨てていると聞く」
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
吉野山の愛染宝塔あいぜんほうとうを根じろにたてこもっていた大塔ノ宮の御陣中にいたが、この二月初め、吉野は陥ち、宮は高野こうやへ落ちのびてしまったので、こんどは土民に化けて
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
高野こうやの奥の高野杉には、天上の鳥という頻伽びんがの声が、澄みぬいている。ここでは、下界でいうもずも、ひよどりも、あらゆる雑鳥も一様に迦陵頻伽かりょうびんがのさえずりであった。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そこには、高野こうやのような金堂宝塔の美はないが、何か慕わしいものがあるように思われた。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
宮は無力な落人おちゅうどにすぎない。身一ツ高野こうやたのんで来られたのだ。これをたすけぬのは仏心にそむく。——一山の衆議はすぐきまって、宮は、大塔とよぶ大伽藍だいがらん天井裏てんじょううらかくまわれた。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「ところで、この吉報を、さっそく大塔ノ宮へもお告げ申したいが、宮は吉野落ちの後、高野こうやとばかりで、その御在所も連絡が来ておらぬ。……たれか心ききたる者はおるまいか」
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
高綱は、一個の新沙弥しんしゃみとなって、当年の高野こうや行人派のひとりとなって、修行を志した。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
戦乱二年、吉野の奥から高野こうや、十津川と、山野にして、郷士竹原六郎の娘を妃とし、野武士や山伏の徒とも、膝ぐみになって、秘策をかたらい、自身陣頭にも立ってきた宮である。
頼朝の不信は責めたが、卒然と何か悟って、中国七州を弊履へいりのごとく捨ててしまい、先ごろから高野こうやへ入って出家しているそうじゃ……。何といさぎよい、侍らしいやり口ではないか
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
資盛すけもり〕清盛の孫、小松重盛の次男。新三位中将。兄の維盛これもりは、屋島を脱出して、高野こうやをさすらい、熊野の海で投身した。歌よみの才媛、右京大夫うきょうのたいふつぼね(以前、建礼門院の侍女)の恋人。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
養家ようかひんしたため十五歳で京都の妙心寺みょうしんじに小僧にやられ、名を十竹じっちくともらい、おいずるを負うて、若いあいだ、南都なんと高野こうや、諸山を遍参へんさんして、すこしばかり仏法をかじったり、一切経いっさいきょうを読んでみたり
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
おととし、笠置かさぎのあといらい。宮のありかは、熊野、伊勢、十津川の奥、高野こうやの上、さまざまに沙汰されていたが、去年の夏ごろから、吉野築城の事実が関東方にも、やっと、はっきりつかめていた。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
高野こうやもある、伯耆ほうき大山寺だいせんじもある。叡山えいざん、奈良はいうまでもない。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
高野こうやの尻押しの故智こちに習って、老人は楽そうに押されてゆく。
鳴門秘帖:05 剣山の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)