かま)” の例文
「土も同じ、薬も同じ、おそらくかまも同じ一つ窯であろうが、にかかわらず、焼き色、仕上がりに、できふできのあるは不思議だな」
こうぞしげれば、和紙の産地である。麻が畑に見えれば、麻布を予期していい。同じ土焼どやきの破片が数あれば、それでかまが見出せたともいえる。
地方の民芸 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
「左様。そのためにわかに参じた次第。ほかではないが、折入ってのお頼み、一世一代のお気組きぐみで、御用登ごようのぼりのかまにかかっては下さるまいか」
増長天王 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
胸の中に鉄の錘を投げ込まれるような残忍な感じだった。その時彼は、顔の筋肉を引きつらして、閉め切った火葬のかまの鉄の扉を見つめた。
幻の彼方 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
桑名の西北六里、濃州街道に添うて、石榑いしぐれという山村があった。山から石灰石を産するので、石灰を焼くかまが、山の中にいくつも散在した。
乱世 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
お茶の用意の爲めに部屋を出たり這入つたりしてゐたダイアナは、私にかまの一番上で燒けた小さなお菓子を運んでくれた。
今向かい合っている小さいかまも、奥に切ってある大きいも、落ちかかっているように傾いた棚も、すべて昔のさまとちっとも変わっていなかった。
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
祖父の光昭は陶樹院と呼ばれるが、若いころから焼物に凝り、麻布の下屋敷にかまを造らせて、みずから皿や鉢や壺や、茶碗などを焼いて一生を終った。
若き日の摂津守 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
どうかあの倉のなかにある方々の土を加茂川の水でねて、その中へわしの屍骸を入れて一つ土団子つちだんごをこしらへてくれ、そしてそれを三よさ栗田あはたかまで焼いた上
それが、明治二十年頃からか、ぼつぼつ大聖寺山代及びその附近の村などにかまを築く人が出来て来て、こんな目立たぬ所に、九谷焼の復活の曙光しょこうが見えて来たのである。
九谷焼 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
自分の邸内にかまを造って専門の職人を雇い込んで本式にやっている。御当人はもちろんであるが、その細君もまたおかあさんもそれぞれ熱心なアマチュア芸術家である。
柿の種 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
彼は鏡のような山の光線で隈なく見入ったときに、元からあったかまきずに、驚いて眼をとめた。
陶古の女人 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
呂宋人は口細くちぼその壺を好んで使うが、トンドという村にそのかまがある。翌日、そこへ行ってみた。
呂宋の壺 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
三時間ほどすると、重油でやかれた姉はぼろ/\の骨となつて、かまから押出された。
町の踊り場 (新字旧仮名) / 徳田秋声(著)
ここにこうしてかまを築き、陶磁器ならびに漆器類を、みずからつくっています。
食器は料理のきもの (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
同じ火の芸術の人で陶工とうこう愚斎ぐさいは、自分の作品をかまから取出す、火のための出来損じがもとより出来る、それは一々取ってはげ、取っては抛げ、大地へたたきつけて微塵みじんにしたと聞いています。
鵞鳥 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
焼き場もりの男はかまの後ろの口へまわって
妹の死 (新字新仮名) / 中勘助(著)
粘粉ねりこでつちてかまに入れるを
もっともかまは益田のものではないが、今も細々と場末の荒物屋に残り、大概はほこりだらけになって高い棚の隅か、縁の下にうずくまっている。
雲石紀行 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
だが人間はついに、われからそのごうかまとして、自分も他人も、煮え立つ釜中ふちゅうまめとしてしまった。——天下騒然
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
手こそ下しませぬが、この泥斎が殺したも同然、無実の言いがかりに責められるを悲しんで、知らぬまにかまへはいり自害したに相違ござりませぬ。
店の小さいかまの前には人の善さそうな陶器師のおきなえな烏帽子をかぶって、少し猫背に身をかがめて、小さい莚の上で何か壺のようなものを一心につくねていた。
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
要するに、火山丘の熔岩の妖しい美しさは、地球というかまの中でつくられた窯変ようへんの美しさである。
黒い月の世界 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
陶物すえものを出すかまはほかにもあるのだ。市外のパリアンにみん人の窯があるというので、翌日、行ってみたが、安南あたりのものらしいというだけで、かくべつな意見もなかった。
呂宋の壺 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
もしそれがお祖父さんでなかったら、くたくたにのして今戸焼のかまん中へたたっこむところである。悠二郎は口惜しさのあまりぽろぽろ涙をこぼし、それをげんこでこすりながら云った。
桑の木物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
さびをし溶かすかまなりや
泣菫詩抄 (旧字旧仮名) / 薄田泣菫(著)
一カ所に多くは数個のまたは十数個のかまを有つから窯数からすれば概算少なくとも二百には達するであろう。私たちはこのために長い旅をつづけた。
現在の日本民窯 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
見たんです。ちらりと、ちらりとあれがあのかまの中にはいるところを見かけたような気がしましたんです。何を
彦右衛門の高笑いに、彼方かなたかがんでいた福太郎は、びっくりしたようにかまの前から伸びあがって振り向いた。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
瀬戸せとかまは古くかつ広く、早くより歴史家から注意せられた。特に「志野しの」や「織部おりべ」は好んで茶人間にもてあそばれた。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
こうなると、百助のえた腕は、恐ろしい悪事の構成に利用される。彼はかまの中の陶器すえものを、巧みに、火加減をもって悪作あくさくなものと変質させようとするのである。
増長天王 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
祥瑞ションズイの亡き後、捨次郎はその松坂を去って、郷里の尾張おわりへひき移り、この土地の瀬戸村で産出する陶器をはじめ、諸国のかまの製品も扱って、那古屋、清洲、京
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大体飾りのない、素地きじの荒い焼物で、そこに雅致が認められ、茶人たちに好まれたかまであります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
耕介の横びんに薄禿うすはげがあって、鼠にかじられたような腫物できものに、膏薬こうやくが貼ってあるところなど——かまの中できずになった陶器やきものの自然のくッつきとも見えて、一だんと
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
町の人といえどもそんな粗物に意を留めたことはないのである。それにかまは更に五、六里も奥の山間にある。馬の背で町に運ばれて売られる時も、多くは十数銭で買えるのである。
日田の皿山 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
「ははあ、ではあれは、それを焼くかまでございましたか。しかし茶わんなど作って、どうなさいますか」
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
東洋の「形」の正しい格が保たれているのでありまして、これと同様の力は朝鮮にはまだ幾分ありますが、日本内地では一、二のかまを除いてはもうほとんど残っていないのであります。
台湾の民芸について (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
かまは小さいので、一窯に二個か三個ぐらいしかはいらない。その中には割れもできる。だから、日は経っても、そこに並ぶ茶碗が、目立って増えることもなかった。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
瀬戸の周囲には品野しなの赤津あかづなどのかまがあり、この系統が引いて美濃の方にまで及びました。瀬戸の町に行きますと、何百年かの窯の煙が、町そのものを黒くしているくらいであります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
たちまちかまの肌がドス黒く、火口かこうの焔も弱ってくらになってきた。久米一生涯の神品しんぴんも、今はどうなったか計られない。百助はそれを眺めてニタッ……と嘲笑あざわらった。
増長天王 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一つは氷坂ひさかと呼ぶかまのことであります。郡は丹生にゅうで村は吉野であります。福井や武生の陶器屋に行くと、この窯のものをよく見かけます。壺やかめが主で、黒の胴に白の流釉ながしぐすりを垂らします。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
遠い唐の時代からかまが築かれ、宋元の頃には、宮廷の御用品を焼く官窯かんようが出来、それに附随する役所だの、商家だの、職人町などで、当時、支那第一の陶府とうふといわれるほど殷賑いんしんを極めていた。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)