にじ)” の例文
私は有島武郎さんの作品をんで、作品のうちににじんでゐる作者の心の世界せかいといふものゝ大きさや、強さといふものを深くかんじます。
三作家に就ての感想 (旧字旧仮名) / 南部修太郎(著)
彼は荒く息をしながら、左の腕で顔をおおった。するとその二の腕の内側に、大きな掻き傷が二すじできて、血のにじんでいるのが見えた。
暴風雨の中 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
客は酌人しゃくにん美姫びきへ手をふった。赤ら顔は酒のせいばかりではない。肥っていてよく光る皮膚にボツボツと黒い脂肪がにじみ出している。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
私はそれを見ると何んという事なしに涙が眼がしらににじみ出て来た。それを私はお前たちに何んといっていい現わすべきかを知らない。
小さき者へ (新字新仮名) / 有島武郎(著)
立話をしているうちに僕はふと涙がにじんで来た。(涙が? それは後で考えてみると、人間一人飢死を免れたのをよろこぶ涙らしかった。)
火の唇 (新字新仮名) / 原民喜(著)
壮士の額にはようやく汗がにじんできた、それと共に気がジリジリとれ出すのがわかります。この時、竜之助の足許あしもとがこころもち進む。
姉である伸子のいうことをちゃんと理解しようとしている心がにじんでいるばかりでなく、保自身、自分のうけとりかたの正当さを
道標 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
少くとも彼の鼻の頭には、線香花火でやけどした程の火ぶくれが出来て、甘皮あまかわの破れた皮膚の下からほんのわずかばかり血がにじんだ。
トルストイやドストエフスキーやストリンドベルヒの作に心惹かれるのはそのなかに深い善、悪の感じがにじみ出ているからである。
愛と認識との出発 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
リーマン博士のそのときのこわばった顔付、額にねっとりとにじみ出たその汗から見て、博士はたいへんな責任を背負っていることが分った。
宇宙尖兵 (新字新仮名) / 海野十三(著)
喬介はそう言って、笑いながら右腕の袖口カフスをまくしげて見せた。手首の奥に白い繃帯ほうたい、赤い血を薄くにじませて巻かれてあった。
カンカン虫殺人事件 (新字新仮名) / 大阪圭吉(著)
そしてその窓にりかかって、いましがたどちらの目からにじたのかも分らない熱いものが私の頬を伝うがままにさせながら
風立ちぬ (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
中には、片袖かたそでの半分ちぎれかけている者や、脚絆の一方ない者や、白っぽい縞の着物に、所々血をにじませているものなども居た。
入れ札 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
私は自分のやたらインキをにじませている金釘流が恥ずかしくてならなかった。居士は自分でペンをってさらさら書き流した。
西隣塾記 (新字新仮名) / 小山清(著)
うすい灯のいろが、ゆうべのように川岸かしの夕ぐれの中ににじんで、客もないのか、打ち水に濡れた石のいろが、格別にきょうはわびしかった。
山県有朋の靴 (新字新仮名) / 佐々木味津三(著)
わずかににじみ出る血液くらいでは致死量に至らないようだ。むしろ醍醐味だいごみとなって、美味の働きをしているのかも知れない。
河豚は毒魚か (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
また、はじめは身振りだけの愛の挨拶あいさつであっても、次第に、そこから本当の愛がにじんでいて来る事だってあると思います。
新ハムレット (新字新仮名) / 太宰治(著)
たゞ水源は水晶を産し、水は白水晶や紫水晶からにじみ出るものと思つて居た。春はその水晶山へ、はら/\と一重ひとえ桜が散りかかるのを想像する。
(新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
今日勝った、今日負けた、今度こそ負けるもんか——血のにじむような日が滅茶苦茶に続く。同じ日のうちに、今までより五、六割もえていた。
蟹工船 (新字新仮名) / 小林多喜二(著)
そして、指の上を、よくもいでない刃でやわらかくこする。むろん、刃は通りっこない。彼は押さえつける。汗をかく。やっと血がにじみ出す。
にんじん (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
『そんな気持になれないのだから仕方がない……』と云つた弟の眼には涙がにじんでゐた。悪かつたと私が思つてゐると
亡弟 (新字旧仮名) / 中原中也(著)
彼女と弟とは固くなってひとみを見張った。兄は俯伏うつぶせに横わったまま片方の眼を押えてしくしく泣いていた。その指のまたから濃い血がにじみでてくる。
青草 (新字新仮名) / 十一谷義三郎(著)
呑んだ水はすぐにねっとりとした脂汗あぶらあせになって皮膚面ににじみ出た。暁方の少し冷えを感ずるころ、手を肌にあててみると塩分でざらざらしていた。
(新字新仮名) / 島木健作(著)
皺だらけな顏が白くなつた上に大粒おほつぶな汗をにじませながら、脣のかわいた、齒のまばらな口をあへぐやうに大きく開けて居ります。
地獄変 (旧字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
見ていると何だかえたいの知れぬ、非常に不気味なものが、ジワジワと、写真の中から、にじみ出して来る様な気がする。
吸血鬼 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
冷え冷えと露を含んだ草の葉が彼の肉体に触れたとき、彼は死人のように蒼ざめて、恐怖のあまり眼を大きく見開いた。冷汗ひやあせが彼の額ににじみ出た。
持主が急いで座を立った証拠しょうこに、細い筆の穂先が、巻紙の上へ墨をにじませて、七八寸書きかけた手紙の末をけがしていた。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
最後に姿見の方へ行って剃り立ての顔を眺めた時は、今まで髭に隠れていた鼻の下あたりが青々として見えた。ところどころからは血もにじみ出た。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
彼の頭にある女の肉体は、筋ばった蒼白あおじろあぶらにじみ出たような女の肉体につながった。それは彼の細君の体であった。
文妖伝 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
「家内ええと、二、二十人」——彼は思わずひたいを拭いた。汗がにじんで来たからである。その筈である。彼の家族は彼と母親との二人きりなのだから。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
船首にグングンのしかかって来る断崖だんがい絶壁の姿を間一髪の瀬戸際まで見せ付けられた連中のひたいには皆生汗なまあせにじんだ。
難船小僧 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
神戸牧師は額に冷たい汗をにじませて、苦悶の表情を浮べながらこう答えたが、又元のようにむっつり黙って終った。
支倉事件 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
眼を閉じると、瞼のうらにうっすらと涙がにじんで来るのが判る。舟の中と違って、家の中にはさまざまなにおいが、生活のにおいがただよい揺れていた。
狂い凧 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
炎熱に走り廻って汗をかいてるところへ傷口の血が全身ににじんで、この時はもう牛は一つの巨大な血塊に見える。
左の手に蝋燭ろふそくを持つて兄の背後うしろまはつたが、三筋みすぢ麻縄あさなはで後手にしばつてはしらくヽり附けた手首てくびは血がにじんで居る。
蓬生 (新字旧仮名) / 与謝野寛(著)
「いくら貧乏人の子でも、こんな血のにじむほどったものを、見ていて知らぬふりするものがあるかナッ!」
戦争雑記 (新字新仮名) / 徳永直(著)
吉良は、礼のための礼のように、冷淡をよそおっても、出雲守へ好意を示したいこころが、声ににじんでいた。
元禄十三年 (新字新仮名) / 林不忘(著)
涙ににじんだ眼をあげて何の気なく西の空をながめると、冬の日は早く牛込うしごめの高台の彼方かなたに落ちて、淡蒼うすあおく晴れ渡った寒空には、姿を没した夕陽ゆうひ名残なごりが大きな
うつり香 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
と思った瞬間、俯伏になったマダム丘子の口元から透通るような鮮やかな血潮が泡立ちながら流れ出、真白い卓子にみるみる真赤な地図を描いてにじみ拡がった。
女が白衣の胸にはさんだ一輪の花が、血のようににじんでいる。目を細くして見ていると、女はだんだん絵から抜けでて、自分の方へ近寄ってくるように思われる。
千鳥 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
向日性を持った、もやしのように蒼白い堯の触手は、不知不識しらずしらずその灰色した木造家屋の方へ伸びて行って、そこににじみ込んだ不思議な影のあとを撫でるのであった。
冬の日 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
そしてこの挨拶のしどろもどろを取りなおすつもりで、胸を張ってできるだけもっともらしい顔つきをして端坐たんざした。だが脇の下にはほんとうに汗がにじんでいた。
地球儀 (新字新仮名) / 牧野信一(著)
なんとも言い知れない悲しさが胸の底からにじみ出して、お君も抱かれながらにすすり泣きをやめなかった。
両国の秋 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
ひげを伝わる呼吸が、雫となってポタポタ落ちる、鉛筆をポッケットから出して、弟が寒暖計を見て報告する温度を、手帖に記していると、傍から鉛筆の墨がにじんで
雪中富士登山記 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
高麗の陶磁器は日々人の心に親しみたいための器であった。それは古代においてのみではない。李朝の代に及んでも日常の凡ての用品にさえその心を深くにじませた。
民芸四十年 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
木の間がくれに洩れる六月の陽が汗をにじませた。羽虫が目先をちらついた。あぶが追いかけて来た。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
彼は一種不可思議な感激に身ぶるひさへ出て、思はず目をしばたたくと、目の前の赤い小さな薔薇は急にぼやけて、双の眼がしらからは、涙がわれ知らずにじみ出て居た。
私も笑い、全くおかしい話だが、哀しさがおかしさの裏からジワジワとにじみ出てくる話であった。
如何なる星の下に (新字新仮名) / 高見順(著)
葭簀よしずのそばに腕組みをして突っ立っている重右衛門じゅうえもんをジロリと尻目にかけ、ツカツカと象の胸先のほうに寄って行って、血のにじみ出しているあたりをツクヅクと眺めていたが
職務とは言いながら、片肌脱ぎたいくらいな暑さを我慢してにじみ出る汗をハンカチに吸いとらせている姿を見たならばだれでも冗談でなしに、お役目ご苦労と言いたくなる。
愚人の毒 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)