殿上人てんじょうびと)” の例文
わしはあの優雅ゆうがみやこの言葉がも一度聞きたい。あの殿上人てんじょうびと礼容れいようただしい衣冠いかんと、そして美しい上﨟じょうろうひんのよいよそおいがも一度見たい。
俊寛 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
いつも時平の腰巾着こしぎんちゃくを勤める末社まっしゃどもの顔ぶれを始め、殿上人てんじょうびと上達部かんだちめなお相当に扈従こしょうしていて、平中もまたその中に加わっていた。
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
これに直垂ひたたれを着せ、衣紋えもんをただし、袴をはかせて見ると、いかなる殿上人てんじょうびともおよび難き姿となって、「おとこ美男」の名を取る。
大菩薩峠:26 めいろの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
左大臣頼長を始めとして、あらゆる殿上人てんじょうびとはいずれも衣冠いかんを正しくしてならんでいた。岸の両側の大路小路も見物の群れで埋められていた。
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
平安朝の長い貴族政治の下に、源氏物語的な特異な逸楽いつらくを幾世紀となくつづけ、平安の都と、殿上人てんじょうびとには謳歌されて来た地上。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
廻廊の席と白洲との間に昔はかなり明白な階級の区別がたったものであろうと思われた。自分の案内されたのはおそらく昔なら殿上人てんじょうびとの席かもしれない。
雑記(Ⅰ) (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
あの頃の年若な殿上人てんじょうびとで、中御門なかみかどの御姫様におもいを懸けないものと云ったら、恐らく御一方もございますまい。
邪宗門 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
現任の官職で参議に列すれば、ただの殿上人てんじょうびとでなく公卿くぎょうに連なるわけであるが俊成はそれに失敗した。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
「皆に怪しがられるようにしてはいけないが、この家の小さい殿上人てんじょうびとね、あれに託して私も手紙をあげよう。気をつけなくてはいけませんよ、秘密をだれにも知らせないように」
源氏物語:03 空蝉 (新字新仮名) / 紫式部(著)
女はまだなんにも言わぬ。とこけた容斎ようさいの、小松にまじ稚子髷ちごまげの、太刀持たちもちこそ、むかしから長閑のどかである。狩衣かりぎぬに、鹿毛かげなるこま主人あるじは、事なきにれし殿上人てんじょうびとの常か、動く景色けしきも見えぬ。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
当時にあっては、昇殿を許され殿上人てんじょうびとと親しく交わることが、及びもつかない栄誉であったから、この律義りちぎで賢い田舎いなか武士、忠盛の心に昇殿を望む気持が頭をもたげてきたのは当然のはなしである。
必ず「上達部かんだちめ殿上人てんじょうびと」であったものが、「諸大夫しょだいふ、殿上人、上達部」になっている。昔の写本、木版本でない現今の活字本で見る人は一目瞭然いちもくりょうぜんとわかるはずである。文章も悪い、歌も少くなった。
かれは侍従といって、むかしは然るべき殿上人てんじょうびとにつかえていたが、今は世と共に衰えて、わずかに武家に身をよせて朝夕を送っているのであった。
小坂部姫 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
もちろん殿上人てんじょうびととの同席はできず、地方に所領はあっても、たいがい山地や未開地である。平氏も源氏も、おしなべて皆“地下人ちげびと”と呼ばれていた。
そして院が上達部かんだちめ殿上人てんじょうびとと御一緒に水飯すいはんを召しあがったという釣殿はどのへんにあったのだろうと右の方の岸を
蘆刈 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
その中で下級の殿上人てんじょうびとの娘くらいの者が、尻軽るにちょこまかと細かな役をつとめる下役の女房になる。駄洒落や軽る口をたたいて、宮の内に笑を作るのもこの身分のものである。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
勝つは負ける日の初め、負けるはやがて勝つ日の初め——と、殿上人てんじょうびと輪廻観りんねかんのそこには、やはり仏教が働いていた。
ととさまに習うたけれど、わたしも不器用な生まれで、ようは詠まれぬ。はて、詠まれいでも大事ない。歌など詠んで面白そうに暮らすのは、上臈じょうろう公家くげ殿上人てんじょうびとのすることじゃ」
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
夏の頃水無瀬殿の釣殿つりどのにいでさせ給ひて、ひ水めして水飯すいはんやうのものなど若き上達部かんだちめ殿上人てんじょうびとどもにたまはさせておほみきまゐるついでにもあはれいにしへの紫式部こそはいみじくありけれ
蘆刈 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
きのうまでの殿上人てんじょうびとが、どうやってその艱難かんなんに耐えたろうか。天皇も皇子も公卿もみな跣足はだしである。クマざさや木の根に血をにじませ、雨は肌にまで沁みとおったことだろう。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
幾分か優柔という批難こそあれ、忠通は当代の殿上人てんじょうびとのうちでも気品の高い、心ばえの清らかな、まことに天下の宰相さいしょうとして恥ずかしからぬ人物であった。彼は色を好まなかった。
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
千手丸は百姓上りの長者の忰、瑠璃光丸はやんごとない殿上人てんじょうびとの種である。
二人の稚児 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
とは、殿上人てんじょうびとあらましの十目十指であるらしい。そして主上後醍醐もまた
彼の家弟経盛つねもりは参議に、頼盛は権大納言ごんだいなごんに、子重盛は近衛大将までに——云うもわずらわしいが、公卿に上った者十余名、殿上人てんじょうびとと称される人三十名の余をこえ、平氏一門の受領国は三十余ヵ国。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
正三位左兵衛さひょうえかみじょされ、八座の宰相さいしょう(参議)の御一人にも挙げられ、殿上人てんじょうびとの列にも列せられてみると、置文のお誓いなど、自然お心からうすらいでしまうのは、人情自然かともぞんじますが
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)