杜絶とだ)” の例文
聞く者の耳も妙に変っている。この「オーイ」「オーイ」の応答が杜絶とだえると、自分の心臓の鼓動が高く響くだけが気になる寂莫せきばくである。
木曽御嶽の両面 (新字新仮名) / 吉江喬松(著)
まだ十二時前ではあったが、片側かたがわ町の人家は既に戸を閉め、人通りも電車も杜絶とだえがちになった往来には円タクが馳過かけすぎるばかり。
つゆのあとさき (新字新仮名) / 永井荷風(著)
そんなことを鷺太郎は考えながら、それでも生垣を舐めるように身を密ませながら追いて行くうち、いつか住宅地も杜絶とだえて、崖の上に出た。
鱗粉 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
夜が明けたので、もう客が杜絶とだえると見た爺むさい老人が——いま店をしまおうとするところへ、闇太郎は、ずっとはいった。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
ある時長い間往来おうらい杜絶とだえて居た両親の家に行き、突然ひざまずいて、大真面目まじめに両親の前で祈祷したりして、両親をかえって驚かしたこともありました。
でもさすがに正月だ。門松しめ飾り、松の内の八百屋町をぱったり人通りが杜絶とだえて、牡丹雪ぼたんゆきが音も立てずに降っている。
愛と認識との出発 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
人通りの杜絶とだえた路地に彼の下駄の音を今か/\と耳を澄ましてゐる時、この支那蕎麥屋の笛を聞いて、われを忘れて慟哭どうこくしたといふのである。
業苦 (旧字旧仮名) / 嘉村礒多(著)
「編笠茶屋の評判者、——お妻とか申したな——あの美しい娘が、横の方からそれを見て居たと思ふ。外には人通りも杜絶とだえ、生憎あいにく月もなかつた」
夫人の顔に現れていた緊張が、又サッとゆるんだ。しばらく杜絶とだえていた微笑が、ほのかながら、その口辺に現われた。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
それらは風のかたまりに送り運ばれて、杜絶とだえ勝ちに、彼の耳もとへ伝はつて来たやうに思はれた。けれども、それはやはり幻聴であつたのであらう。
しばらくすると人足が杜絶とだえて四境あたりが静かになったかと思うと、直ぐ戸に近く草鞋わらじの音がして、歌をうたって行く。
不思議な鳥 (新字新仮名) / 小川未明(著)
久しく杜絶とだえていた鷹狩を、久光が、将軍から、鷹匠をかりて、試みるということを聞いていたし、この辺の近くに、お鷹野のあることも、知っていた。
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
登山客の杜絶とだえたこの秋の初めに自ら探検に出かけて、遂に実証を見届けて来たという、その驚くべき報告を、今宵集まった人達に話そうとするのである。
心霊の抱く金塊 (新字新仮名) / 大倉燁子(著)
それは黄色いワン・ピースを着た妻であったが、恐水病患者の熱っぽい眼に映る幻のようでもあった。今にも息が杜絶とだえそうな観念がぎりぎりと眼さきに詰寄せる。
苦しく美しき夏 (新字新仮名) / 原民喜(著)
そして、その音がしばらく闇の中でふるえはためいていたが、杜絶とだえてしまうと、もはや誰一人声を発する者もなく、堂内は云いしれぬ鬼気と沈黙とに包まれてしまった。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
県農会などでも大いに奨励し、農家ももうかることであるから誰も彼も狸を飼つてゐるのだが、儲け仕事は長く続かずこの一両年の時局柄で毛皮の売れ行が、とんと杜絶とだえた。
たぬき汁 (新字旧仮名) / 佐藤垢石(著)
久慈の、悲痛ひつうなる叫びごえは、そこではたと杜絶とだえた。通信機の前を彼が離れたのであった。
地球要塞 (新字新仮名) / 海野十三(著)
二人は話しながら、月の光を浴びて櫟林くぬぎばやしの下を長峰の方にたどった。冬の夜は長くまだ十時を過ぎないけれども往来には人影が杜絶とだえて、軒燈の火も氷るばかりの寒さである。
駅夫日記 (新字新仮名) / 白柳秀湖(著)
カン/\叩きの仕事が一時杜絶とだえて少年労働者が全く不用になつたのはそれから間もなくだつた。私はその日の食費が払へなくなつた。然し国の父に云つてやる気は無論なかつた。
ある職工の手記 (新字旧仮名) / 宮地嘉六(著)
一時杜絶とだえた囲炉裏端の話し声は、再びひそひそと続けられているらしかった。お婆さんは、青い静脈の浮いているまぶたを静かに閉じた。そして唇を動かした。また咽喉がごくりと鳴った。
蜜柑 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
二人の間にはもう元のように滾々こんこんと泉のごとくわき出る話題はなかった。たまに話が少しはずんだと思うと、どちらかに差しさわるような言葉が飛び出して、ぷつんと会話を杜絶とだやしてしまった。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
やがてどうしてか、笛の音がはたと杜絶とだえた。
新潮記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
声はハタと杜絶とだえたがまた聞えて来る。
水晶の栓 (新字新仮名) / モーリス・ルブラン(著)
「編笠茶屋の評判者、——お妻とか申したな——あの美しい娘が、横の方からそれを見て居たと思う。外には人通りも杜絶とだえ、生憎あいにく月もなかった」
君江はうなずいたまま窓の外へ目を移したので、会話はなしはそのまま杜絶とだえる間もなく車は神楽阪の下に停った。
つゆのあとさき (新字新仮名) / 永井荷風(著)
暗い、静かな午後、村は人通りが杜絶とだえて、黒い男の横行を怖れて戸を閉めてしまった。……
悪魔 (新字新仮名) / 小川未明(著)
杜絶とだえたピアノの音は、再び続かなかった。が、その音の主は、なか/\姿を現わさなかった。少年が茶を運んで来た後は、しばらくの間、近づいて来る人の気勢けはいもなかった。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
X大使の、この超人間な偉力に圧倒されているうえに、クロクロ島は沈没し去り、魚雷型潜水艦はめずらしく故障となり、それから鬼塚元帥との連絡が、ぱったり杜絶とだえてしまったのである。
地球要塞 (新字新仮名) / 海野十三(著)
人間の最後の意識が杜絶とだえる瞬間のことを殆ど目の前に見るように想像さえしていた。少女の頃、一度危篤にひんしたことのある妻は、その時見た数限りない花の幻の美しかったことをよく話した。
美しき死の岸に (新字新仮名) / 原民喜(著)
笑合わらいあったが、それもすぐに杜絶とだえてしまった。
腐った蜉蝣 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
そして、声が杜絶とだえた。
人外魔境:05 水棲人 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
起きている家は一軒もないが、まだ杜絶とだえない人通りは牛込見附うしごめみつけの近くなるに従っていよいよにぎやかになる。
ひかげの花 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
母はやゝ安眠に入ったと見え、囈言が、しばらく杜絶とだえて、いやな静けさが、部屋の裡に、漂っていたときだった。廊下に面したドアを、低く、聞えるか聞えないかに、トン/\と打つ音がした。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
米連艦隊の砲撃が、ぱったりと杜絶とだえたのを確認した。
地球要塞 (新字新仮名) / 海野十三(著)
時々銕橋てっきょうを渡る電車の響のかすかに聞えたのも、今は杜絶とだえて、空を走る風の音ばかりが耳につく。
老人 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
幸い午近ひるぢかくのことで見渡す川岸に人の往来は杜絶とだえている。長吉は出来るだけ早くめしでもさいでもみん鵜呑うのみにしてしまった。釣師はいずれも木像のように黙っているし、甘酒屋の爺は居眠りしている。
すみだ川 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
幸ひ午近ひるぢかくのことで見渡みわたす川岸に人の往来わうらい杜絶とだえてゐる。長吉ちやうきち出来できるだけ早くめしでもさいでもみん鵜呑うのみにしてしまつた。釣師つりしはいづれも木像のやうに黙つてゐるし、甘酒屋あまざけやぢゝ居眠ゐねむりしてゐる。
すみだ川 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)