)” の例文
その年の冬から翌年の正月にかけては、彼はまた、親のそばにも姫路にもしていなかった。めずらしく私的な旅行をして歩いていた。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
藤九郎の父はかつて忠善の側近にしていたことがあるし、話の首尾がととのっているので、六弥もこんどは笑わなかった。
日本婦道記:墨丸 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
頼りと思う病床の父にして、不如意勝な幾月日を送って来た子供達の心持を想像した時、僕は両手で顔をおおうて泣いた。
友人一家の死 (新字新仮名) / 松崎天民(著)
何事かといぶかりつつも行きて見れば、同志ら今や酒宴しゅえんなかばにて、しゃくせるひとのいとなまめかしうそうどき立ちたり。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
私は子供の時から彼らの席にするのを心苦しく感じていた。まして自分のために彼らが来るとなると、私の苦痛はいっそうはなはだしいように想像された。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
村中での美しい娘を選んで、それを夜のとぎせしめようとするが、決してこれと親しく語り合うてはならぬ。
丹那山の怪 (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
ドイツの植民地よりまっぱだかの黒人を連れて来て先帝の病床にせしめ、あるいは子供を左右に侍せしめたならば、かれらはおそらく先帝はなんらの苦痛もなく
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
元明女帝の和銅元年、御宴にした三千代のさかずきに橘が落ちたのにちなんで橘宿禰の姓をたまわったのである。
道鏡 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
品は初子が亀千代を生んだ年に二十一歳で浜屋敷に仕へることになつて、すぐに綱宗の枕席ちんせきしたらしい。あるひは初子の産前産後の時期にちようを受けはじめたのではなからうか。
椙原品 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
お春は三人のそばして、こぼれる愛嬌を見せながら、華奢きゃしゃな手に瓶子ちょうしるのでした。
艶容万年若衆 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
その当時は高位貴顕のそばに婦女子のしいて、雑説、奇談をその君に申し上げ、方位、方角などを女子とともに忌み嫌うことになりたりとの説もあるが、多分そのようなることより
迷信解 (新字新仮名) / 井上円了(著)
大島老人おほしまらうじん病床びやうしやうして、最後さいご教訓けうくんかれもとめとき老人らうじんしづかに
日の出 (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
維盛卿も、傍らにせる重景もかうべを垂れて默然もくねんたり。
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
と松本君も側にした。
ガラマサどん (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
しかし、間もなくその紋太夫は、主君綱条つなえだして、これへ見えた。——わが子ながら綱条は当主である、老公は席を分けて、上座じょうざを与えた。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ただこのままになが膝下しっかせしめ給え、学校より得る収入はことごとく食費としてささまいらせいささ困厄こんやくの万一を補わんと、心より申しでけるに、父母も動かしがたしと見てか
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
彼が不埒ふらちを働いたとすれば、自分もまたその責任せきにんを分かたねばならぬと思い、西郷が来るやいなや、ただちに彼を兵庫ひょうごに引連れ、明日君が君公の前にすれば、生命はないぞ。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
あのとき、秀吉にしていた、あまたの武将ぶしょうや侍のなかに、たしかに、大九郎のすがたも見えた。可児才蔵の顔もあった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ドイツの先帝フリードリヒ陛下が不治の病気にかかりて数日間病床に呻吟しんぎんし、しかもその病気は苦痛の最もはげしいものであったので、かたわらにするもののみならず、国民全体がふかき同情をよせ
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
……宗矩むねのりでございまする。おわかれ申して後は、しては大御所様の御陣に、平素、仕えては江戸表の秀忠様のお側に。
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いつもなら悦之進が、もうお側にして、何かと、世話しているのであるが、けさはその悦之進がまだ帰っていない。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして、それがすんでも灯を横に、良人の影は、怏々おうおうと揺れ悩んでいるかにみえる。久子は、側にんやりした。多聞丸も二郎丸もみな寝たらしい。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それらの人々は皆、張角の帷幕いばくに参じたり、厨房ちゅうぼうで働いたり、彼のそば近くしたり、また多くの弟子の中に交じって、弟子となったことを誇ったりした。
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それに殿でんノ法印良忠が、宮のわきにしていた。人払いした客殿の灯の外は、夜寒よさむの虫声だけだった。
「天正五年の新春といっても、はや間近うございます。それがしどもも、木の香新しい御座にして拝賀のお杯を頂戴できるものと、唯今から楽しんでおりまする」
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
美しい侍女こしもとが、やがてかれをいざなった。遠からぬ一室に、吉保は待っていた。まばゆいばかり明るい左右には腹心の者らしい侍臣が二名いるほか、すべて女子がしていた。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いつ聞いても、それがいっこう「新説」でないかえしである証拠には、席にしている唐琴からこと太夫も墨菊太夫も小菩薩こぼさつ太夫も、またほかの酌人や、物運びする女たちまでが
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その腰元たちもみな薙刀なぎなたを持って室にしているというまことに一風変った女性であった。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
とらわれの主上にしていながらも、彼女はその身だしなみをくずしていず、むしろあたりが荒れているだけに一そうあやしいまでの皮膚の白さとこの世の人とも見えぬよそおいとを
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その多くは将座にして、総大将の雑用をなすいわゆる“小姓組”に配されていた。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
して青巌寺へ来たことがあるし、山上に長くいて、歌書の著述などを書いていた一夏もあるので、青巌寺にはその折のままになっている幽斎公の直筆の書物や文房の遺物かたみやらが何かと置いてある。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
していた道誉どうよが、そのとき、初めて口をひらいた。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
高祖皇帝の両側にせるはそも如何なる人か、と。
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
廉子も暁にいたるまで帝にしてささめいていた。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と引き止めるまま、いなみもならずしていた。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
金屋きんをく、粧ひ成って、けうとして夜に
はは
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)