中間ちゅうげん)” の例文
後世低級の使用人を「中間ちゅうげん」とも、「ハシタ」ともいったのは、やはり同じ意味で、ハシタはすなわちハシヒトの訛りであります。
しかのみならず百姓が中間ちゅうげんり、中間が小頭こがしらとなり、小頭の子が小役人と為れば、すなわち下等士族中にはずかしからぬ地位をむべし。
旧藩情 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
雪はその日のくれにやんだが、外記は来なかった。その明くる夜も畳算たたみざんのしるしがなかった。その次の日に中間ちゅうげんの角助が手紙を持って来た。
箕輪心中 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
なんでも今頃は孝助が大曲り辺で、三人の中間ちゅうげん真鍮巻しんちゅうまきの木刀でたれて殺されたろうと思っている所へ、平常ふだんの通りで帰って来たから
今の世の価にては侍二人の給金八両、中間ちゅうげん八人の給金二十両、馬一疋まぐさ代九両を与え、また十人扶持ぶち五十俵を与うれば、残り百三十九俵あり。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
振り返ると段の中ほどのところに立って、不精らしく懐ろ手をしたまま、じっと娘の様子を見ているのは、渡り中間ちゅうげんらしい様子をした中年男です。
こうまでは驚かねえが、旗本のお嬢さんで、手が利いて、中間ちゅうげんを一人もんどり打たせたと聞いちゃあ身動きがならねえ。
註文帳 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
そこでなお、意地わるく、時の人びとは、かれらをよぶに、雑色ぞうしきだの、中間ちゅうげんだの、小舎人こどねりなどといい分ける代りに、ヘイライさんと、総称していた。
山口屋へゆくまえに調べたところ、侍は十二人、あとは中間ちゅうげん小者こものと人足で、荷駄が七頭あり、五頭にはかなり重量のありそうな箱荷が付けてあった。
風流太平記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
そこへ中間ちゅうげんの市助が目笊めざるの上に芦の青葉を載せて、急ぎ足で持って来た。ピンピン歩く度に蘆の葉が跳ねていた。
悪因縁の怨 (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
其処へ関口官蔵せきぐちかんぞう中間ちゅうげん伴助はんすけが、小平をぐるぐる巻きにして入って来た。宅悦は小平を口入した責任があった。
南北の東海道四谷怪談 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
又吉またきちの丹波屋六左衛門、菊三郎の仲買勘蔵、うつり悪し。勘太郎の中間ちゅうげん宅助よし。和市わいちの幇間は目障りなりき。
両座の「山門」評 (新字旧仮名) / 三木竹二(著)
手明きの若党、鎗持やりもちの中間ちゅうげん草履取ぞうりとり、具足持ぐそくもち、高張持たかはりもちなぞ、なかなかものものしい。それにこの物頭ものがしらが馬の口を取る二人のうまやの者も随行して来た。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
同町の縫箔屋ぬいはくやの長というやつが、門の前を通りおったから、なまくら脇差にて叩きちらしてやったが、うちの中間ちゅうげんがようようとめて、長のうちへ連れて行って
ガタガタと、家中の戸が開く音がして、六尺棒や、木刀を押ッ取った若党、中間ちゅうげんがかけ出して来る。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
勘左衛門の三人が三鉄輪みつがなわに座を構えて、浮世雑談ぞうだんの序を開くと、その向うでは類は友の中間ちゅうげん同志が一塊ひとかたまりとなッて話を始めた,そこで自分は少し離れて、女中連の中へはいり込み
初恋 (新字新仮名) / 矢崎嵯峨の舎(著)
「あんな声を出して何のまじないになるか知らん。御維新前ごいっしんまえ中間ちゅうげんでも草履ぞうり取りでも相応の作法は心得たもので、屋敷町などで、あんな顔の洗い方をするものは一人もおらなかったよ」
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
『倶舎論』に曰く、「死有しうののち、生有しょううさきにありて、二者の中間ちゅうげんに、五蘊ごうんの起こるあり。生処しょうしょに至らんがためのゆえに、このしんを起こす。二しゅの中間なるがゆえに、中有ちゅううと名づく」
通俗講義 霊魂不滅論 (新字新仮名) / 井上円了(著)
かくて徳川時代のマニン、モウトに至るまで、同じ階級のものをすべて中間ちゅうげん、ハシタ、マウト、マニンなどと呼んだものであった。
賤民概説 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
それでも西岡は百八十俵取りで、お福という妹のほかに中間ちゅうげん一人、下女一人の四人暮らしで、まず不自由なしに身分だけの生活をしていた。
離魂病 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
しきりに侍と亭主と刀の値段の掛引かけひきをいたして居りますと、背後うしろかたで通りかゝりの酔漢よっぱらいが、此の侍の中間ちゅうげんとらえて
わたくしは、現在の贅沢ぜいたくぐらしさえ、幸福だとは思っていません。今でもなつかしく思うのは、あなたがまだ中間ちゅうげん勤めをしていた頃の貧しい暮しです。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
上州の安中でも、所の剣術遣いだと言ったが、常蔵という中間ちゅうげんの足を、白鞘しらざやを抜いてふいにきりかかったから、その時も、おれと二人で打ちのめして縛ってやった。
一と月ばかり前——先月の十三日の晩六助と懇意こんいにしていた渡り中間ちゅうげんの源次という悪党がかった男が
その中間ちゅうげんが十人ばかり、峠の下へやって来て、今後この街道で稼ぐことはならんと云い、通りかかる駕籠舁きや馬子を、片っ端から捉まえては殴りつけたり倒したり
雪の上の霜 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
飛地の伊豆いず田方郡たかたごおりの諸村を見廻りの初旅というわけで、江戸からは若党一人と中間ちゅうげん二人とを供に連れて来たのだが、箱根はこね風越かざこしの伊豆相模さがみ国境くにざかいまで来ると、早くも領分諸村の庄屋しょうや、村役などが
丹那山の怪 (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
平安朝における中間男ちゅうげんおとことか、中間法師ちゅうげんほうしとかの語のあるのがこれを証する。勿論賤民中の上位にいる家人けにんもまた中間ちゅうげんとしてみられる様になった。
間人考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
旦那の家は玉子屋新道で、その屋敷の門をくぐると、顔馴染の徳蔵という中間ちゅうげんが玄関に立っていて、旦那がお急ぎだ、早くあがれと云うんです。
半七捕物帳:11 朝顔屋敷 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
この者、元坂本の中間ちゅうげん僧たりし所、西塔さいとうの学僧寮に堂衆として取りたてられ、朱王房と称しおる者なり。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
真鍮巻しんちゅうまきの木刀を差したる中間ちゅうげんが附添い、此の藤新ふじしんの店先へ立寄って腰を掛け、ならべてある刀を眺めて。
男は用人の外に中間ちゅうげん、小者、庭掃にわはきの爺、女はお小間使のおのぶ、仲働きのお米、外にお針に飯炊き。
兄貴が使った侍はみんな中間ちゅうげんより取立て、信州五年詰の後、江戸にて残らず御家人ごけにんの株を買ってやられたが、利平は隠居して株の金を貰って、身よりのところへかかりて
中間ちゅうげんの市助はともの方に控えながら。
悪因縁の怨 (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
近所で訊くと、この下屋敷には六十ばかりの御隠居が住んでいて、ほかには用人と若党と中間ちゅうげん、それから女中が二人ほど奉公しているとのことであった。
半七捕物帳:08 帯取りの池 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
つまりは中間ちゅうげんすなわちハシタ(間人)のことで、それを特殊民に対して用うるに至ったのは、その語がさらに下賤なるものに移ったという場合もあろうし
間人考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
「ついでに、中間ちゅうげんと、用人がわりの、老人一名やといたいが、いいのがあったら、世話してくれ」
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
有「えゝ、お下屋敷の松蔭大藏様の所に奉公して居りました、有助と申す中間ちゅうげんでござえます」
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
鉢巻トハ何ノコトダ、武士ハ武士ラシクスルガイイ、此方こっちハ侍ダカラ中間ちゅうげん小者こものノヨウナコトハ嫌イダト云ッタラ、フトイ奴ダトテ吸物膳ヲ打附ぶっつケタカラ、オレガソバノ刀ヲ取ッテ立上リ
大菩薩峠:40 山科の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
金龍山きんりゅうざんの明け六つが鳴るのを待ち兼ねていたように、藤枝の屋敷から中間ちゅうげんの角助が仲の町の駿河屋へ迎いに来た。
箕輪心中 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
ハシヒトつづまりてハシトとなり、さらにハシタとなるに不思議はない。そして後に武家の中間ちゅうげんと呼ばれる下男は、そのハシタオトコを音読したものに外ならぬ。
賤民概説 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
「やっ、この者は、いつも検校の供をして、ご当家へもたびたび来ておる中間ちゅうげんでございます」
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
中間ちゅうげん小者こものに劣った了簡りょうけん
大菩薩峠:41 椰子林の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
草履取りの中間ちゅうげんと話しながら新宿の方へ急いでゆくうちに、細かい雨がふたりの額のうえに冷たく落ちて来た。
半七捕物帳:41 一つ目小僧 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
すると、市松が、ことし十四になったばかりの正月、蟹江川かにえがわの支流で、他家よそ中間ちゅうげんを斬った。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
前引三島文書の「半人」はハシタビトと読み、その義が半端者すなわち中間ちゅうげん人で、当時賤しと見られた雑職人の通称であったのは言うまでもない。なおこの事は後項に説明する。
間人考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
おまえ達が武家に奉公すると云えば先ず中間ちゅうげんだが、あんな折助おりすけの仲間にはいってどうする。奉公をするならば、堅気の商人あきんどの店へはいって辛抱しろと云う。
と、いちいち爺からいわれなくても、中間ちゅうげんから下部しもべ女のはしにまで心構えはできている。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
外記はさもうるさそうに顔をしかめたが、ともかくもひとまず茶屋へ帰って角助に逢った。角助は渡り中間ちゅうげんで、道楽の味もひと通りは知っている男であった。
箕輪心中 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
飼馬料かいばりょう、一年分で、中間ちゅうげんの仕着せができよう。馬で、藩邸通いなどは、贅沢ぜいたく沙汰さた
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かれは二人の中間ちゅうげんをよんで、玄関の横手から再び長梯子をかけさせると、半七は身づくろいをしてすぐにするすると登って行って、大屋根の上に突っ立った。
半七捕物帳:10 広重と河獺 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)