長谷寺ちやうこくじ)” の例文
蘭軒を葬つた長谷寺ちやうこくじは此道筋の北にあつて、慊堂が石経山房の址は其南にある。長谷寺に往くには高樹町巡査派出所の角を北に入る。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
門人塩田良三りやうさん肌熱きねつ頭痛を覚えつつも、単身殮葬れんさうの事に当り、強ひて紋服に十徳を襲ねて柩の後に随つた。さて送つて長谷寺ちやうこくじに至つて、日暮にお玉が池に還つた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
享保十八年十月十八日に有信は五十三歳で歿し、長谷寺ちやうこくじに葬られた。即ち幼くして乳媼にゆうをんと共にかくれてゐた寺で、此寺が後々までも宗家以下の菩提所となるのである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)