迨夜たいや)” の例文
開山聖人さま御正忌ごしょうき会のお迨夜たいやも近々。御影堂は立派にお出来申したのに、お中身の開山聖人さまのあの御影像が無くて御報恩講が勤まりましょうか。
取返し物語 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
按ずるに改暦後、月を変へて日を変へずに五月二十三日とし、所謂迨夜たいやに客を招いたのであらう。当時の主人は陶後の子にして幸作の父なる竹陶兵助ちくたうひやうすけ五十四歳である。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
「十七日。(二月。)雨。夕晴。慧璘童女ゑりんどうによ七回忌、得悟童子来廿八日三回忌之処取越、法事執行、今日迨夜たいや也。大賢尼来読経。」按ずるに慧璘は棠軒の女のぶ法諡はふしである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
信徒二『そやそや。何でも手の足らん箇所を見付け次第、そこへかぶりついて是が非でもの月末の親鸞さま御正忌会のお迨夜たいやまでには美んごとこしらえ上げにゃ、わてらの男が立たん』
取返し物語 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
「廿二日。晴。真野竹陶(兵助事)病死之趣為知来しらせきたる。即葬送寺へ行。」「廿三日。晴。真野へ悔行くやみにゆく。」「廿六日。陰。微雨。夕微晴。真野へ被招行飲。当日初日迨夜たいや也。」
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)