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譙周
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しょうしゅう
ふりがな文庫
“
譙周
(
しょうしゅう
)” の例文
孔明が戦場で死んだと聞いたとき、この
譙周
(
しょうしゅう
)
はその夜のうち成都を去って、はるばる途中まで
弔問
(
ちょうもん
)
に駈けつけて行った。
三国志:12 篇外余録
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
だが、一夜親しく彼を訪ねて、蜀臣全体の不安を代表するかのように、それとなく、彼を
諫
(
いさ
)
めにきた太史
譙周
(
しょうしゅう
)
にたいして、彼の
諭言
(
ゆげん
)
は懇切をきわめた。
三国志:10 出師の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
彼は、
太傅
(
たいふ
)
許靖
(
きょせい
)
や、光禄大夫
譙周
(
しょうしゅう
)
などを、にわかにあつめて、故典事例を調べさせた。人々は伝え聞いて
三国志:10 出師の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
いずれが是であったか非であったか、これはかえって
譙周
(
しょうしゅう
)
の最後のことばに傾聴するものが多いようだ。
三国志:12 篇外余録
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
けれど孔明以下、法正も張飛も趙雲もたびたび、進言して、玄徳の積極性をうながしたため、ついに彼もそれを許容することになり、ここに文官の
譙周
(
しょうしゅう
)
が
表
(
ひょう
)
を作った。
三国志:09 図南の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
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こういう苦心と用意と、つぶさなる説明を聞いては、
諫
(
いさ
)
めにきた
譙周
(
しょうしゅう
)
も二言なく帰るのほかはなかった。ために、蜀朝廷の不安も反対も声なきに至ったのみか、かえって
三国志:10 出師の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
ときに重臣の
譙周
(
しょうしゅう
)
が、やっと不器用な口つきで、最後に私見を述べた。
三国志:12 篇外余録
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
譙
部首:⾔
19画
周
常用漢字
小4
部首:⼝
8画
“譙”で始まる語句
譙郡
譙県
譙国
譙水