蜂屋頼隆はちやよりたか)” の例文
五郎左衛門長秀は、前田利家としいえと共に、北陸にいたが、長秀の部将、金森金五かなもりきんごや、蜂屋頼隆はちやよりたかは、秀吉について、参戦していた。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
滝川一益の五万石加増、新付北伊の一部、蜂屋頼隆はちやよりたかの三万石加増等には、何らの筆を加えなかったが
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
月の末近くには、神戸かんべ信孝、北畠信雄の一門もそろい、以下、柴田勝家、羽柴秀吉、丹羽にわ長秀、細川藤孝ふじたか、池田信輝、筒井順慶、蒲生氏郷がもううじさと蜂屋頼隆はちやよりたかなど、あらかた到着していた。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、床几しょうぎへ取りよせて、それをすぐ使番頭安藤惣五郎に手渡し、即刻、播磨はりまへ早打せよといいつけた。その早打がまだここを出ないうちであった。麓から蜂屋頼隆はちやよりたかがのぼって来た。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
入れ代りに、金森金五、蜂屋頼隆はちやよりたかのふたりが見える。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
内久保山うちくぼやま 蜂屋頼隆はちやよりたか金森長近かなもりながちか(三千人)
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)