“良房”の読み方と例文
読み方 | 割合 |
---|---|
よしふさ | 100.0% |
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
“良房(藤原良房)”の解説
藤原 良房(ふじわら の よしふさ、延暦23年〈804年〉 - 貞観14年〈872年〉)は、平安時代初期から前期にかけての公卿。藤原北家、左大臣・藤原冬嗣の次男。官位は従一位・摂政太政大臣、贈正一位。染殿、白河殿と称される。諡は忠仁公 、国封は美濃公。
皇族以外の人臣として初めて摂政の座に就いた。また、藤原北家全盛の礎を築いた存在であり、良房の子孫たちは相次いで摂関となった。子孫が絶えんことを願った人(子孫がいないように見せかける)として『徒然草』に聖徳太子とともに名が挙がっている。
(出典:Wikipedia)
皇族以外の人臣として初めて摂政の座に就いた。また、藤原北家全盛の礎を築いた存在であり、良房の子孫たちは相次いで摂関となった。子孫が絶えんことを願った人(子孫がいないように見せかける)として『徒然草』に聖徳太子とともに名が挙がっている。
(出典:Wikipedia)