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美福門院
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びふくもんいん
ふりがな文庫
“
美福門院
(
びふくもんいん
)” の例文
そのとき父俊成は四十九歳、定家には七歳上の兄
成家
(
なりいえ
)
がある。母は
美福門院
(
びふくもんいん
)
の女房
加賀
(
かが
)
といって、はじめ皇后宮少進藤原
為隆
(
ためたか
)
の妻であった。
中世の文学伝統
(新字新仮名)
/
風巻景次郎
(著)
鳥羽の寵姫、
美福門院
(
びふくもんいん
)
は、すでに、幼帝近衛の御母であり、ここにまた、女院政治すら行われそうです。
随筆 新平家
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
わが子の
重仁
(
しげひと
)
こそ当然天下を統治すべきものと、自分も世間も思っていたのに、
美福門院
(
びふくもんいん
)
の妬みにさまたげられて、第四皇子の
雅仁
(
まさひと
)
に帝位をうばわれたのは、まことふかいうらみではないか。
雨月物語:02 現代語訳 雨月物語
(新字新仮名)
/
上田秋成
(著)
“美福門院(藤原得子)”の解説
藤原 得子(ふじわら の とくし/なりこ、永久5年(1117年)- 永暦元年11月23日(1160年12月22日))は、日本の第74代天皇・鳥羽天皇の皇后。近衛天皇の生母。女院。院号は美福門院(びふくもんいん)。
藤原北家末茂流(藤原魚名の後裔)の生まれ。父は権中納言・藤原長実(贈太政大臣)、母は左大臣・源俊房の女、方子。鳥羽天皇譲位後の寵妃であったが、太上天皇の后として、異例の「皇后(皇后宮)」に立てられた。
(出典:Wikipedia)
美
常用漢字
小3
部首:⽺
9画
福
常用漢字
小3
部首:⽰
13画
門
常用漢字
小2
部首:⾨
8画
院
常用漢字
小3
部首:⾩
10画
“美福門”で始まる語句
美福門