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瑤泉院
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ようぜいいん
ふりがな文庫
“
瑤泉院
(
ようぜいいん
)” の例文
そのほか、浅野家菩提所の寄進金と、亡君の内室
瑤泉院
(
ようぜいいん
)
化粧料(
輿入
(
こしい
)
れの折の持参金)とはべつに手をふれずにわけてある。
新編忠臣蔵
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
『ヤ、帰ってしもうたか? ……。
種々
(
いろいろ
)
、
訊
(
たず
)
ねたい事もあったのに……
瑤泉院
(
ようぜいいん
)
様にも
落胆
(
がっかり
)
なされる事であろう』
新編忠臣蔵
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
明細な収支にわけて
誌
(
つ
)
けて置いた物を、きのう、彼の手から
瑤泉院
(
ようぜいいん
)
の家老落合与左衛門のほうへ届けておいたと云うことを、老人たちに告げているのだった。
新編忠臣蔵
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“瑤泉院”の解説
瑤泉院(ようぜんいん、延宝2年(1674年) - 正徳4年6月3日(1714年7月14日)、生年については異説も)は、江戸時代中期の女性。赤穂事件で知られる赤穂藩主浅野長矩の正室。名は阿久里(あぐり/おくり)、阿久理・阿久利とも。
夫の死後、落飾して瑤泉院と称した。「ようぜいいん」と読まれることが多いが、これは冷泉家の「泉」を「ぜい」と読むことにつられた読み癖(誤読)で、正しくは「ようぜんいん」と読む。
(出典:Wikipedia)
瑤
部首:⽟
14画
泉
常用漢字
小6
部首:⽔
9画
院
常用漢字
小3
部首:⾩
10画
“瑤”で始まる語句
瑤珞
瑤々
瑤
瑤池