焦心あせればあせるほど頽勢たいせいに傾いていたところ、七月二日、藤島の燈明寺畷とうみょうじなわてとよぶところの泥田の道で、義貞は流れ矢にあたり、年三十八で、あえなくもついに戦死したとの情報なのであった。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)