寛永十五年島原の切支丹きりしたん宗徒の乱が平定したとき、祖父の摂津守忠房せっつのかみただふさ島原城主として四万石をみましたが、間もなく旅先で歿し、父の左近太夫高長そのほうを継ぎました。