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山背大兄王
ふりがな文庫
“山背大兄王”のいろいろな読み方と例文
読み方
割合
やましろのおいねのみこ
33.3%
やましろのおおえおう
33.3%
やましろのおほえわう
33.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
やましろのおいねのみこ
(逆引き)
「御井寺勘録寺家財雑物等事」及び「古今目録抄」によれば太子の
御子
(
みこ
)
山背大兄王
(
やましろのおいねのみこ
)
と由義王の創建されしところと伝えられる。
大和古寺風物誌
(新字新仮名)
/
亀井勝一郎
(著)
山背大兄王(やましろのおいねのみこ)の例文をもっと
(1作品)
見る
やましろのおおえおう
(逆引き)
もっとも入鹿は
山背大兄王
(
やましろのおおえおう
)
(聖徳太子の子供)とその一族を殺していますね。
安吾の新日本地理:04 飛鳥の幻――吉野・大和の巻――
(新字新仮名)
/
坂口安吾
(著)
山背大兄王(やましろのおおえおう)の例文をもっと
(1作品)
見る
やましろのおほえわう
(逆引き)
当然皇位に
即
(
つ
)
き給ふべき御方である聖徳太子の御子たる
山背大兄王
(
やましろのおほえわう
)
を斥け奉り、入鹿は遂に大兄王の御即位は、蘇我氏の滅亡を意味するものと考へ、
皇極
(
くわうぎよく
)
天皇の二年大兄王を襲ひ奉つた。
二千六百年史抄
(新字旧仮名)
/
菊池寛
(著)
山背大兄王(やましろのおほえわう)の例文をもっと
(1作品)
見る
“山背大兄王”の解説
山背大兄王(やましろのおおえのおう、生年不詳山背大兄王(国史) - 皇極天皇2年11月11日(643年12月30日))は、『日本書紀』によれば7世紀前半の皇族。『上宮聖徳法王帝説』より厩戸皇子(聖徳太子)の子。母は蘇我馬子の娘・刀自古郎女(とじこのいらつめ)で大臣・蘇我入鹿とは従兄弟に当たる。
(出典:Wikipedia)
山
常用漢字
小1
部首:⼭
3画
背
常用漢字
小6
部首:⾁
9画
大
常用漢字
小1
部首:⼤
3画
兄
常用漢字
小2
部首:⼉
5画
王
常用漢字
小1
部首:⽟
4画
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