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山背大兄王
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やましろのおいねのみこ
ふりがな文庫
“
山背大兄王
(
やましろのおいねのみこ
)” の例文
「御井寺勘録寺家財雑物等事」及び「古今目録抄」によれば太子の
御子
(
みこ
)
山背大兄王
(
やましろのおいねのみこ
)
と由義王の創建されしところと伝えられる。
大和古寺風物誌
(新字新仮名)
/
亀井勝一郎
(著)
山背大兄王
(
やましろのおいねのみこ
)
は、太子と刀自古郎女とのあいだに長子として生誕され、よく先王の遺訓をまもられた方である。舒明天皇より皇極天皇にいたる間の行動は、書紀に
詳
(
つまびらか
)
に示されているとおりである。
大和古寺風物誌
(新字新仮名)
/
亀井勝一郎
(著)
さきに上宮太子の御子
山背大兄王
(
やましろのおいねのみこ
)
は、蘇我入鹿の軍に襲われたとき、御一身のため万民を
煩
(
わずら
)
わすを慎しみ給い、「身を
捐
(
す
)
て国を固くせむは、
亦
(
また
)
丈夫
(
ますらを
)
ならざらむや」と法隆寺に
自頸
(
じけい
)
されたのであったが
大和古寺風物誌
(新字新仮名)
/
亀井勝一郎
(著)
“山背大兄王”の解説
山背大兄王(やましろのおおえのおう、生年不詳山背大兄王(国史) - 皇極天皇2年11月11日(643年12月30日))は、『日本書紀』によれば7世紀前半の皇族。『上宮聖徳法王帝説』より厩戸皇子(聖徳太子)の子。母は蘇我馬子の娘・刀自古郎女(とじこのいらつめ)で大臣・蘇我入鹿とは従兄弟に当たる。
(出典:Wikipedia)
山
常用漢字
小1
部首:⼭
3画
背
常用漢字
小6
部首:⾁
9画
大
常用漢字
小1
部首:⼤
3画
兄
常用漢字
小2
部首:⼉
5画
王
常用漢字
小1
部首:⽟
4画