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山々亭有人
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さんさんていありんど
ふりがな文庫
“
山々亭有人
(
さんさんていありんど
)” の例文
戯作者
(
げさくしゃ
)
の
殿
(
しんが
)
りとしては、仮名垣魯文と、後に新聞記者になった
山々亭有人
(
さんさんていありんど
)
(
条野採菊
(
じょうのさいぎく
)
)に指を屈しなければならない。
明治十年前後
(新字新仮名)
/
淡島寒月
(著)
採菊山人は
即
(
すなわち
)
山々亭有人
(
さんさんていありんど
)
にして
仮名垣魯文
(
かながきろぶん
)
の歿後われら後学の徒をして明治の世に江戸戯作者の風貌を
窺知
(
うかがいし
)
らしめしもの実にこの翁
一人
(
いちにん
)
ありしのみ。
書かでもの記
(新字旧仮名)
/
永井荷風
(著)
“山々亭有人(
条野採菊
)”の解説
条野 採菊(じょうの さいぎく、1832年9月24日(天保3年9月1日) - 1902年(明治35年)1月24日)は、幕末から明治中期の、東京の、戯作者・ジャーナリスト・実業家・作家・劇評家。本名は条野伝平。号に山々亭有人(さんさんていありんど)・採菊散人・朧月亭・朧月亭有人・弄月亭有人など。鏑木清方の父。條野とも書く。
(出典:Wikipedia)
山
常用漢字
小1
部首:⼭
3画
々
3画
亭
常用漢字
中学
部首:⼇
9画
有
常用漢字
小3
部首:⽉
6画
人
常用漢字
小1
部首:⼈
2画