“尚清(尚清王)”の解説
尚清王(しょうせいおう、1497年(弘治10年) - 1555年7月13日(嘉靖34年6月25日))は、琉球王国第二尚氏王統の第4代国王(在位1527年 - 1555年)。第3代国王尚真王の第5王子。童名は真仁堯樽金。神号は天続之按司添(てにつぎのあんじおそい)。
1526年(嘉靖5年)12月11日に父が死去した後の翌年に即位する。1534年、明王朝に冊封を受ける。1537年には反乱のかどで奄美大島の与湾大親を討つが、これは大島の他の大親による讒訴と判り、子孫の馬氏小禄殿内は琉球で長用された。同時に倭寇に対する圧力、防備も強化するなどの軍事面での顕著な事績があった。
(出典:Wikipedia)
1526年(嘉靖5年)12月11日に父が死去した後の翌年に即位する。1534年、明王朝に冊封を受ける。1537年には反乱のかどで奄美大島の与湾大親を討つが、これは大島の他の大親による讒訴と判り、子孫の馬氏小禄殿内は琉球で長用された。同時に倭寇に対する圧力、防備も強化するなどの軍事面での顕著な事績があった。
(出典:Wikipedia)