共生ミットレーベン)” の例文
共生ミットレーベンということの意味を生活体験的に考えるならば、必ず父母を基として、国土に及ばねばならぬ。そしてわれわれに文化伝統を与えてくれた師長を忘れることはできぬ。
現在それが悲哀の表情であれば、自ら悲哀を感じる。これは他人の内生を共生ミットレーベンすること、すなわち同情である。利他主義はこの同情という心理的事実にもとづくものである。
もしも二人が運命と運命とを触れあわすならば、二人の醜いこと、苦しいこと、羞かしいことをも共生ミットレーベンするならば、肉交にかぎらずインニッヒになる。肉交すればインニッヒになるかもしれない。
愛と認識との出発 (新字新仮名) / 倉田百三(著)