“備後絣”の解説
備後絣(びんごかすり)は、広島県福山市新市~福山市芦田町で製造されている絣。伊予絣、久留米絣とともに日本三大絣の一つともされる。綿が主で、絹、ウールも生産されていたことがある。現在(平成23年3月現在)は、綿だけの生産となっている。
元々、福山城主水野勝成によって、福山沿岸部一帯は棉花の栽培が奨励されていた。江戸時代後期の文久年間に広島県福山市芦田町下有地谷迫在住の富田久三郎が中田屋万兵衛から「キシ縞(じま)」という浅黄(あさぎ)絣の絹織物を見せられ、これにヒントを得、手引糸を使って縦糸の一部を竹の皮でくくり、それを染めて井桁(いげた)絣を考え出したのが、備後絣の初めである。久留米絣の技術を応用したという文献もある。当初は文久絣とも呼ばれ、女性用の耕作作業着として用いられた。
(出典:Wikipedia)
元々、福山城主水野勝成によって、福山沿岸部一帯は棉花の栽培が奨励されていた。江戸時代後期の文久年間に広島県福山市芦田町下有地谷迫在住の富田久三郎が中田屋万兵衛から「キシ縞(じま)」という浅黄(あさぎ)絣の絹織物を見せられ、これにヒントを得、手引糸を使って縦糸の一部を竹の皮でくくり、それを染めて井桁(いげた)絣を考え出したのが、備後絣の初めである。久留米絣の技術を応用したという文献もある。当初は文久絣とも呼ばれ、女性用の耕作作業着として用いられた。
(出典:Wikipedia)