ぜひなく彼は柏坂かしわざかの麓から道をかえて中山道なかせんどうへ廻ったが、このことは、だいぶ旅行中の評判になった。ずっと後に書かれた「三河後風土記みかわごふどき」の筆者など
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「改正三河後風土記みかわごふどき」や、その他の諸書が記すところによると、その日の光春が装いは、白練絹しろねりぎぬの陣羽織に、時の名ある画匠がしょうが、水墨すいぼくをもって雲龍うんりゅうを描いたものを着ていたという。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)