つがふ都合)” の例文
右のつがふ都合を以て幕吏が申スニハ、殺し候人が先ヅ横笛船ニて其場引取て又軍艦ニ乗うつり、土佐に帰り候と申立候よし也。
然レ共此度の上京私一人外当時船の乗組一人位の事なるべくたれか京ニ御出しなれバ、はなはだつがふ都合宜(ママ)しかるべし。
又あとハよふし養子もあるまい。龍馬がかへるおまてバ清次郎ハつがふ都合よくだしてやるものを、つまらぬでよふ出様おした。
そして小弟をして海援長ママと致し、諸君其まゝ御修業被成候よふ、つがふ都合付呉候。是西郷吉吉之助老侯山内容堂にとき候所と存候。福岡藤次郎此儀お国より以てママ承り申候。
このごろ将軍さへ江戸へかへり候よふのつがふ都合となり、実に此 神州と申義理も勢もなく、今上様をいづくの地へおくやらさらにがてん合点ゆかず、実にはづべきことなり。
もしユニヲンのつがふ都合が宜しいとなれバ、西吉西郷吉之助小大夫小松帯刀の方ハ拙者より申談候てつがふ宜く候。
然ニ今日右よふの手紙が参り候得ば、もしつがふ都合あしくはあるまいかと存候へバ、御相談申上候。今日は三四郎も病気に候得バ、たれでも代人つかハし候間、御同行奉頼候。
私の存じ付ハ、このせつ兄上にもおゝきに御どふい同意なされ、それわおもしろい、やれ/\と御もふしのつがふ都合ニて候あいだ、いぜんももふし候とふり軍サでもはじまり候時ハ夫までの命。
何卒以前の御心ニ変り無之候時ハ、養子のつがふ都合御つけ被成下度候。早々