“みなもとのよりとも”の漢字の書き方と例文
語句割合
源頼朝100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
勿論もちろん私も亜米利加アメリカは共和国、大統領は四年交代と云うことは百も承知のことながら、華盛頓の子孫と云えば大変な者に違いないと思うたのは、此方こっちの脳中には源頼朝みなもとのよりとも
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
大村には勝重のく前に、源頼朝みなもとのよりとも時代から続いている渋江公業こうぎょう後裔こうえいがある。それと下野から往った渋江氏との関係の有無ゆうむは、なお講窮すべきである。辰盛が抽斎五世の祖である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
つぎに、一一八〇年、源頼朝みなもとのよりともは父義朝よしともの仇をうつために、伊豆に兵を挙げて平家に反抗した。頼朝は、幕府を鎌倉にひらいた。一一八五年、権力者の平家は戦いに破れて、まったく亡びさった。