“まさくに”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
正邦33.3%
将国33.3%
正国33.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
阿部家は宝永七年うるふ八月十五日に、正倫の曾祖父備中守正邦まさくにが下野国宇都宮よりうつされて、福山を領した。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
正弘六世の祖備中守正邦まさくにすゑの子に小字せうじを百之助と云ふ人があつた。後の隼人正容まさかたである。正徳五年正月に父正邦がみまかり、三月に兄伊勢守正福まさよしが所領の内五千俵を割いて正容に与へた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
信田しのだの二郎将国まさくにといふのは将門の子であると伝へられて、系図にも見えてゐるが、此の人の事が伝説的になつたのを足利期に語りものにしたのであらうか
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
秀吉の戦列の中に、山路将監正国まさくにや大金藤八郎などのいることは、勝家の目から見てまたなき謀略の温床だった。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)