“はるゆき”の漢字の書き方と例文
語句割合
治之100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
越後国高田の城主榊原式部大輔政永のぢよ、黒田筑前守治之はるゆきの室である。治之は是より先天明六年十一月二十一日に福岡で卒し、崇福寺に葬られた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
治之はるゆき夫人幸子が三十八歳、幾勢が二十五歳の時である。同じ十月の十二日に、蘭軒の本草の師太田大洲が七十五歳で歿した。時に蘭軒は十九歳であつた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
暫く立つと、有竹氏の主家しゅうけ戸田淡路守氏養うじやすの隣邸、筑前国ちくぜんのくに福岡の領主黒田家の当主松平筑前守治之はるゆきの奥で、物馴れた女中を欲しがっていると云う噂が聞えた。
じいさんばあさん (新字新仮名) / 森鴎外(著)
るんはこれから文化五年七月まで、三十一年間黒田家に勤めてゐて、治之はるゆき、治高、齊隆なりたか、齊清四代の奧方に仕へ、表使格に進められ、隱居して終身二人扶持を貰ふことになつた。
ぢいさんばあさん (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
るんはこれから文化五年七月まで、三十一年間黒田家に勤めていて、治之はるゆき治高はるたか斉隆なりたか斉清なりきよの四代の奥方に仕え、表使格おもてづかいかくに進められ、隠居して終身二人扶持にんふちを貰うことになった。
じいさんばあさん (新字新仮名) / 森鴎外(著)
五世信美は歯医者となり、信階の女、蘭軒の姉にして、豊前国福岡の城主松平筑前守治之はるゆきの夫人に仕へてゐた幾勢きせに推薦せられて、黒田家に召し抱へられ、文政二年四月二十二日に歿した。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)