“のりひで”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
憲秀50.0%
則秀25.0%
汎秀25.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
北条家の督促使とくそくしは、松田尾張守憲秀のりひでという者だった。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
加賀大聖寺だいしょうじの城主、拝郷はいごう五左衛門家嘉いえよし、石川郡松任まっとうの城主徳山五兵衛則秀のりひで、ふたりとも、柴田譜代ふだいの重臣だし、勝家が股肱ここうの老職たちだった。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
途中、徳山則秀のりひでの一族や、不破光治ふわみつはる(勝光の父)などの、すでに風を望んで、陣門に降って来た者もすくなくない。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「織田家のお身内、佐久間信盛のぶもりどのには、まっ先についえ、滝川一益たきがわかずますどのにも逃げくずれ、平手長政(汎秀のりひで)どのはお討死。酒井どの、ひとり御苦戦にございまする」
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)