“とねりのみこ”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
舎人皇子50.0%
舎人親王50.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
例えば、「うち手折たを多武たむの山霧しげみかも細川の瀬に波のさわげる」(巻九・一七〇四)という、舎人皇子とねりのみこに献った歌までに寓意を云々するが如きである。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
舎人皇子とねりのみこに献った歌二首中の一首で、「捄手折」をウチタヲリと訓むにつき未だ精確な考証はない。「打手折撓うちたをりたむ」という意から、同音の、「多武たむ」に続けた。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
巻二(一一八)に舎人皇子とねりのみここたえ奉った歌があり、大宝二年の持統天皇参河みかわ行幸従駕の作、「丈夫ますらを猟矢さつやたばさみ立ち向ひ射る的形まとかたは見るにさやけし」(巻一・六一)があるから
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
聖武天皇天平六年春三月、難波宮なにわのみやに行幸あった時、諸人が歌を作った。此一首は守部王もりべのおおきみ舎人親王とねりのみこの御子)の歌である。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
そして此歌の次に舎人親王とねりのみここたえ奉った御歌が載って居り、親王は聖武天皇の天平七年に薨去せられたから、此行幸はそれ以前で元正天皇御在位中のことということになる。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)