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これなり
ふりがな文庫
“これなり”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句
割合
是也
66.7%
惟成
33.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
是也
(逆引き)
足を継ぐと云う心
是也
(
これなり
)
。太刀一つに足一つずつ踏むは
居付
(
いつき
)
きわまる也。二つと思わば常に歩む足也。
巌流島
(新字新仮名)
/
直木三十五
(著)
三譽妙清樣小石川
御屋形江御上
(
おんやかたへおんあが
)
り之節
縫箔
(
ぬひはく
)
の振袖、其頃の小唄にたんだ振れ/\六尺袖をと唄ひし物
是也
(
これなり
)
、享保十一年
丙辰
(
へいしん
)
六月七日死、生年不詳、家説を以て考ふれば寛文年間なるべし
寿阿弥の手紙
(旧字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
これなり(是也)の例文をもっと
(2作品)
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惟成
(逆引き)
そのうえ大宮司
惟直
(
これなお
)
も、弟の
惟成
(
これなり
)
も、本国へ帰る途中、尊氏方の
呼応者
(
こおうしゃ
)
にとりかこまれて、部下百六十人と共に、無残な死をとげてしまった。
私本太平記:11 筑紫帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
阿蘇惟直
(
あそこれなお
)
、
惟成
(
これなり
)
の兄弟。また一族の惟澄などが、同時に、
吶喊
(
とっかん
)
の声をあげていた。
私本太平記:11 筑紫帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「ひとまず
退
(
ひ
)
け!」と退いたのもまたなおまずかった。敵の仁木義長、千葉
大隅
(
おおすみ
)
らの兵に追い打ちをかけられて、みるまに阿蘇
惟成
(
これなり
)
は負傷し、以下、数百の死傷をここの退路に出してしまった。
私本太平記:11 筑紫帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
これなり(惟成)の例文をもっと
(1作品)
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