“げんさく”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
玄策50.0%
見作50.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
先代の朝井玄策げんさくがこれを一本腰にきめて、突き袖をして歩いたのを、先代が死んでからは使ひ手もなく、納戸のガラクタの中に投り込んであつたといふのです。
私のをつと玄策げんさくに取り入り、娘のお直をだまして養子に入り、夫玄策の死んだ後は、この朝井家のかぶから家から、へつゝひの下の灰までも自分のものにした上、三年經たないうちに
今の玄龍はその聟養子で、先代にまさると言はれた人氣でした。少なくとも男つ振りも辯口も、養父の玄策げんさくの粗野で狷介けんかいなのとは、比較にならぬほどの文化人だつたのです。
くだって『続左丞抄ぞくさじょうしょう』に採録した建久六年の若狭の国富保くにとみのほの文書などには、前には田三十四町一反余の内訳、見作げんさく(現作)二十五町三段余、田代八町八段余とあり、後には同じ数字を再起して
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)