義経よしつね)” の例文
旧字:義經
木曽義仲きそよしなかを討ったとき義経よしつねは都に入るやいなや第一番に皇居を守護した、かれは正義の英雄である、楠正成くすのきまさしげの忠はいうまでもない。
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
「心得申した」と東条数馬は、さもいさぎよく引き受けた。「たとえ義経よしつね為朝ためともであれ、必ずそれがし引っ組んで取り抑えてお目にかけまする」
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
そのうちで一ばん上のにいさんの義朝よしともは、頼朝よりとも義経よしつねのおとうさんにたる人で、なかなかつよ大将たいしょうでしたけれど、それよりももっとつよ
鎮西八郎 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
ひところ、叡山えいざん西塔さいとうにもいたという義経よしつねの臣、武蔵坊弁慶べんけいとかいう男もこんな風貌ではなかったかと性善坊は彼のうしろ姿を見て思った。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
昔は村国の庄司しょうじと云って、その家の旧記によると、文治ぶんじ年中、義経よしつねと静御前とが吉野へ落ちた時、そこに逗留とうりゅうしていたことがあると云われる。
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
わが国のアーサー王物語の主人公ともいうべき、義経よしつねの書いたものだという伝説のある、奇妙な高札が日本のある寺院(須磨寺すまでら)に現存している。
茶の本:04 茶の本 (新字新仮名) / 岡倉天心岡倉覚三(著)
日本武尊やまとたけるのみこと東征の途中の遭難とか、義経よしつね大物浦だいもつのうらの物語とかは果して颱風であったかどうか分らないから別として
颱風雑俎 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
ただ、義経よしつね鉄木真てむじんとを同一人にしたり、秀吉を御落胤ごらくいんにしたりする、無邪気な田舎翁でんしゃおうの一人だったのである。
西郷隆盛 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
さらば、弟義経よしつねと不和となるや、義経逮捕を名として、全国に守護しゆごを配置して軍事、警察をつかさどらしめ、又兵粮米ひやうらうまい徴発ちようはつのために、各所の荘園に地頭ぢとうを置いた。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
うたったと伝うる(なるは滝)小さな滝の名所があるのに対して、これを義経よしつね人待石ひとまちいしとなうるのである。
瓜の涙 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「それはあるさ、義経よしつねの八そうびや、ネルソンのはなしなど、先生せんせいからいつきいてもおもしろいや。」
海の少年 (新字新仮名) / 小川未明(著)
そこには義経よしつね敦盛あつもりの名の見える高札が立ててあった、それはどこへ行ってもかならずある、松だの小沼だのに対する伝説が書かれてあるのだ、康子は清三を振返って
須磨寺附近 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
ただしその話は申合もうしあわせたように源平げんぺい合戦かっせん義経よしつね弁慶べんけいの行動などの外には出なかった。それからまた常陸坊海尊ひたちぼうかいそんの仙人になったのだという人が、東北の各地には住んでいた。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
むかし、このへん一帯はひろびろした海であったそうで、義経よしつねが家来たちを連れて北へ北へと亡命して行って、はるか蝦夷えぞの土地へ渡ろうとここを船でとおったということである。
魚服記 (新字新仮名) / 太宰治(著)
頼朝よりとも公と不和になられた義経よしつね公が、弁慶べんけい亀井かめい伊勢いせ駿河するが常陸坊ひたちぼうの四天王を引きつれて陸奥みちのくへ下向される。一同は山伏に姿をやつしている。が、こうしたことは鎌倉に聞えている。
百樹もゝきいはく越後にいたらば板額はんがくあるひは酒顛童子しゆてんどうし旧跡きうせきをもたづね、新潟にひがたをも一覧なし、名の聞えたる神仏をもをがみたてまつり、寺泊てらどまりにのこる 順徳帝じゆんとくてい鳳跡おんあと義経よしつね夢囱国師むそうこくし法然はうねん上人
範頼のりより義経よしつねに六万余騎を率いさせて上ったが、すでに京に戦闘が起り、御所、内裏みな焼き払われ、天下は暗闇となったということが伝わったので、すぐに今、都へのぼっても軍のしようもあるまい
これは義経よしつね討伐のための臨時兵糧米ひょうろうまい徴収を名として急に設置したものらしいが、それはそのまま恒久の制度となってしまったもので、このようなことは平家の専権時代にも見られなかったことである。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
やはり、この和子の五体には、義家からの母御の血——義経よしつね、頼朝と同じな、源家の武士の脈搏みゃくはくがつよくっているらしい。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
弁慶べんけい義経よしつねといっしょに度々たびたびいくさに出て手柄てがらをあらわしました。のち義経よしつね頼朝よりともなかわるくなって、奥州おうしゅうくだったときも、しじゅう義経よしつねのおともをして忠義ちゅうぎをつくしました。
牛若と弁慶 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
平家の追討にも、義経よしつね範頼のりよりの二弟をしてその事に当らしめ、自分は鎌倉を離れなかつた。武士が領国を離れ京洛の地に入ることは、その本拠を失ふことであることを心得てゐたのである。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
百樹もゝきいはく越後にいたらば板額はんがくあるひは酒顛童子しゆてんどうし旧跡きうせきをもたづね、新潟にひがたをも一覧なし、名の聞えたる神仏をもをがみたてまつり、寺泊てらどまりにのこる 順徳帝じゆんとくてい鳳跡おんあと義経よしつね夢囱国師むそうこくし法然はうねん上人
私は那須与一なすのよいち義経よしつねの弓の話を思い出したりした。
春寒 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
それは、この母の従姉弟いとこに、今は、奥州みちのくの藤原秀衡ひでひらのもとにひそんでいる源九郎義経よしつねがあり、また、近ごろ、伊豆で旗挙げをしたと沙汰する頼朝がある。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そしておしまいに奥州おうしゅう衣川ころもがわというところで、義経よしつねのためににをしました。
牛若と弁慶 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
それから義家、為義、義朝と、いう風に、よく源氏の代々のお方には、義の字が用いられていますから、わたくしは、義——経。——義経よしつねと名乗ろうと思います
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
義経よしつねはもろ肌を脱いで、小冠者こかんじゃに、背なかのきゅうをすえさせていた。
日本名婦伝:静御前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)