祇園精舎ぎおんしょうじゃ)” の例文
旧字:祇園精舍
あるいはまた名高い給孤独長者きゅうこどくちょうじゃ祇園精舎ぎおんしょうじゃを造るために祇陀童子ぎだどうじ園苑えんえんを買った時には黄金おうごんを地にいたと言うことだけである。
尼提 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
ある日のこと、祇園精舎ぎおんしょうじゃの門前に、彼はひとりでションボリと立っていました。それをながめられた釈尊は、静かに彼のもとへ足を運ばれて
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
「さあ……。祇園精舎ぎおんしょうじゃ初語しょがたりもよし、小督こごう忠度ただのり都落ち、宇治川、敦盛あつもり、扇ノ与一。どれも嫌いなものはないの」
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ようやくゆるされて祇園精舎ぎおんしょうじゃに至り、舎利弗の呪願を羨み習うたばかりに重ね重ねの憂き目を見たと語り、仏その因縁を説くのだが余り長くなるから中止としよう。
王子は四歳まで育って、母后の兄である祇園精舎ぎおんしょうじゃの聖人の手に渡り、七歳の時大王の前に連れ出されて、一切の経過を明らかにした。大王は即日太子に位を譲った。
五十路いそじを越えて、まだこんなに水々しいところが何よりの証拠で、都にあって祇園精舎ぎおんしょうじゃの鐘の声を聞くよりは、ここに閑居して沙羅双樹さらそうじゅの花の色の衰えざるを見ていたい。
大菩薩峠:41 椰子林の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
祇園精舎ぎおんしょうじゃに在す釈迦牟尼しゃかむに仏よ。あなたのあわれな弟子は、今危難の淵におぼれかかって居ます。恥辱ちじょくの縄に亡びかかって居ります。どうぞあわれなこの声をお聴き取り下さい。お救い下さい。
阿難と呪術師の娘 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
祇園精舎ぎおんしょうじゃの鐘の声、諸行無常のひびきあり。娑羅双樹しゃらそうじゅの花の色、盛者しょうじゃ必衰のことわりをあらわす。おごれる人も久しからず、唯、春の夜の夢のごとし。たけきものもついにはほろびぬ、ひとえに風の前のちりに同じ。
が、その眉間みけん白毫びゃくごう青紺色せいこんしょくの目を知っているものには確かに祇園精舎ぎおんしょうじゃにいる釈迦如来しゃかにょらいに違いなかったからである。
尼提 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
祇園精舎ぎおんしょうじゃの鐘の声は、次々と完成してゆく電源地から新しい光波となって、また都会栄花のステージへ降りそそいで来よう。無常の作用はまた無死の作用といえる。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
祇園精舎ぎおんしょうじゃの鐘の声、諸行無常の響あり、沙羅双樹さらそうじゅの花の色、盛者必衰しょうじゃひっすいことわりをあらはす……」
大菩薩峠:18 安房の国の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「自分の寺がいつかは亡び失せる——そんなことを考える必要はない。インドの祇園精舎ぎおんしょうじゃいしずえをとどめているに過ぎぬ。重大なのは寺院によって行なう真理体現の努力である。」
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
半月はんつきばかりたったのち祇園精舎ぎおんしょうじゃに参った給孤独長者きゅうこどくちょうじゃは竹や芭蕉ばしょうの中のみちを尼提が一人歩いて来るのに出会った。彼の姿は仏弟子ぶつでしになっても、余り除糞人じょふんにんだった時と変っていない。
尼提 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
大堰川おおいがわをとりいれて、——その中心に祇園精舎ぎおんしょうじゃにならった毘盧遮那仏びるしゃなぶつの本堂をすえ、塔、楼閣、講堂、山門、七十七の寮舎、八十四けん外廊がいろう、鐘楼、輪蔵りんぞう池泉ちせん、橋、そのほか
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いわゆる“祇園精舎ぎおんしょうじゃの鐘の声”とは、この辺の峰、山ふところなどの、朱門しゅもん楼閣ろうかくや堂塔の繁昌を思わせるものだが、若いこの一僧の姿には、みじんの装飾もない、仏臭ほとけくささもない。
祇園精舎ぎおんしょうじゃの鐘のこえ
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)