灰汁あく)” の例文
「去年の暮れの煤掃すすはきの折、ここの家では、日本間の方の天井板をすっかりはがして、灰汁あく洗いをした相だね。それは本当だろうね」
陰獣 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
私はまだ、どこか灰汁あく抜けしない女臭いところがあるのかと、自分を顧みまして、努めようとしましたが、もうわけが分りません。
河明り (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
型の如くゆでて灰汁あくを抜き、酢醤油で食う。これが実に無味の味で、味覚の器官を最高度にまで働かせねば止まないのである。
海にふぐ山にわらび (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
こういうところへ来ると、三年曲輪くるわの水でみがきあげた灰汁あくの抜けた美しさが、ひとしお化粧栄えがして、梅甫の鼻もまた自然と高い……。
「われ雪水ゆきみずをもて身を洗い、灰汁あくをもて手をきよむるとも、汝われを汚らわしき穴の中におとしいれ給わん、しかしてわが衣も我をいとうに至らん」
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
「なにをかす、うぬこそ裾っぱりで灰汁あくのえごい、ひっりなしで後せがみで、飽くことなしのすとき知らず、夜昼なしの十二ときあまだ」
若殿女難記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
凡児ぼんじが父の「のんきなトーさん」と「隣の大将」とを上野うえの駅で迎える場面は、どうも少し灰汁あくが強すぎてあまり愉快でない。
映画雑感(Ⅲ) (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
翌朝、明け方に一寸眼を覚したが、宿酔めいた灰汁あくどい気持のうちに、凡てがもやもやと夢のように入乱れた。それからまたうとうとと眠った。
白日夢 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
八百屋の主婦は、六十を越してゐたが、口が達者で灰汁あくぬけがしてゐて、この近所の田舍婆さんとは際立つて違つてゐた。
水不足 (旧字旧仮名) / 正宗白鳥(著)
それはとちの実で、そのままで食ってはすこぶるにがいが、灰汁あくにしばらく漬けておいて、さらにそれを清水にさらして食うのであると説明した。
くろん坊 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
高村光太郎がいわゆる中間雑誌にも書くようになったのは、ようやく雑誌の灰汁あくがしみ亙っていて一々それを拭いていられなかったからである。
我が愛する詩人の伝記 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
隅田川も濁つて灰汁あくを流したやうに成りました。狹い町中とは言ひながら、早や秋の蟲が縁の下の方でしきりに鳴きます。
さてさらしやうはちゞみにもあれ糸にもあれ、一夜灰汁あくひたしおき、あけあした幾度いくたびも水にあらしぼりあげてまへのごとくさらす也。
それで住民は何を食物くいものにしているかというと、栃の実を食べている。栃の実を取って一種の製法で水にさらして灰汁あくを抜き餅に作って食用にしている。
橋の上まで来ると、彼は一寸立停つて灰汁あくのやうに濁つた水面を見おろした。彼は家へ帰ることがひどく嫌だつた。
道化芝居 (新字旧仮名) / 北条民雄(著)
閉込しめこんだ硝子窓がらすまどがびりびりと鳴って、青空へ灰汁あくたたえて、上からゆすって沸立たせるようなすさまじい風が吹く。
朱日記 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
今日は穀屋の若旦那というこしらえで、すっかり灰汁あくが抜けてはいるが紛れもない、女にまかれたやつである。
つづれ烏羽玉 (新字新仮名) / 林不忘(著)
情けないほどのせせらぎにさえ仕掛けた水車を踏む百姓の足取りは、疲れた車夫の様に力が無く、裸の脊を流れる汗は夥しく増えた埃りにまみれて灰汁あくの様だった。
十姉妹 (新字新仮名) / 山本勝治(著)
う云ふあにと差しむかひで話をしてゐると、刺激の乏しい代りには、灰汁あくがなくつて、気楽でい。たゞ朝から晩迄出歩であるいてゐるから滅多につらまへる事が出来できない。
それから (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
空には灰汁あくをぶちまけたような雲がひろがって、それを地にして真黒な龍のような、また見ようによっては大蝙蝠おおこうもりのような雲がその中に飛び立つように動いていた。
竇氏 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
ソーダ灰で煮上げた白楮の、まだこの時まで残っていたりする粗皮や固い筋を、鎌のさきで取り除きながら洗いすすいで灰汁あくを抜くので、村では「楮さらし」と言っていた。
和紙 (新字新仮名) / 東野辺薫(著)
ことに「灰汁あく入れ」作業の手伝いは、次郎が学校を休んでもやりたいと思う仕事の一つだった。
次郎物語:01 第一部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
白紙に明礬みょうばんとか南瓜かぼちゃの汁とかニガリとか、灰汁あくとかいうもので、何か書いてあるんじゃないかと思ったんだろうよ。が、やはりただの白紙だ、隠し文字も何にもなかったらしい
その汁を一つ作り、別に灰汁あくを作る。東北地方ではサワフタギという木を灰として用いる。
植物記 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
そしてやんごとない上﨟たちは、その闇の灰汁あくにどっぷり漬かっていたのであろう。
陰翳礼讃 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
人間の灰汁あくというものが抜けきって、寒巌枯木にひとしい余生の肉体とばかり自分でも思っていた官能に、急に、熱い血でも注ぎこまれたようなふくらみを覚え、自分の肋骨あばらの下にも
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
灰汁あくやうのものを鍋の表面に浮かべてゐたし、また、すし屋の塵芥箱ごみばこから、集めて来たらしい、赤い生薑しやうがの色がどぎつく染まつた種々雑多の形のくづれたすしやら——すべて、異臭を放ち
釜ヶ崎 (新字旧仮名) / 武田麟太郎(著)
やり甘い辛いがだんだん分ればおのずから灰汁あくもぬけ恋ははた次第と目端が
かくれんぼ (新字新仮名) / 斎藤緑雨(著)
そうかと思うと「灰汁あくのような色の雪雲、日に夜叉神やしゃじん(峠の名)のあたりより、鳳凰、地蔵より縞目をして立ち昇り、白峰を見ざること久し」(十二月十七日)とかつえた情をうったえて来る
雪の白峰 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
桶の灰の中に水を入れて、下の口から少しずつ灰汁あくが落ちる仕掛になっている、古風な家のさま、その灰汁の音が何時いつにかんでしまった。その灰汁桶の水が切れたのでありましょう。
俳句への道 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
灰汁あくがぬけると見違えるような意気な芸者になったりするかと思うと、十八にもなって、振袖ふりそでに鈴のついた木履ぽっくりをちゃらちゃらいわせ、陰でなあにととぼけて見せるとうの立った半玉もあるのだった。
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
それには何れ種々いろん理由わけもあるのだろうが出来ることなら、少しも早く斯様な商売は止して堅気になった方が好いよ。君は何となしまだ此の社会の灰汁あくが骨まで浸込んでいないようだ。惜しいものだ。
別れたる妻に送る手紙 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
なごやかに今日もありけりさみどりのわらびひて灰汁あくにひたしぬ
風隠集 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
楠孔明くすのきこうめいが控えてらア、一番灰汁あく洗いを喰わせたんだゾ。
監獄部屋 (新字新仮名) / 羽志主水(著)
わらび灰汁あく 夏 第百十九 わらびのアク
食道楽:冬の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
実際こういう灰汁あくを抜いてしまった笑いは誰の分のものでも引取って自分の笑いにしたくなる浸潤性があるようでございます。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
灰汁あく」は天然曹達ソーダ(natron)すなわち天然に存する結晶せる曹達である。これを石鹸せっけんの如く使用するのである。
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
セメンの灰汁あくのぬけきるかきらないうちに、秀子は池に一杯竜金りゅうきんを放った。山田はそれを見て、その池には鯉の方がよくつくだろうと云ったことがある。
掠奪せられたる男 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
私はそのときの主婦の灰汁あくの強過ぎるパリジェンヌぶりに軽い反感を覚えないではいられなかったのであった。
追憶の冬夜 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
遥かに山のすそみどりに添うて、濁った灰汁あくの色をなして、ゆったりと向うへ通じて、左右から突出つきでた山でとまる。
春昼後刻 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
まことに正味の茶には相違ないが、いかに言つても生一本きいつぽんで、灰汁あくが強い。それに思つたほどの味が出ない。
桃の雫 (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
さて灰汁あくにひたしてはさらす事、毎日まいにちおなじ事をなして幾日をて白々をなしたるのちさらしをはる。
こう云う兄と差し向いで話をしていると、刺激の乏しい代りには、灰汁あくがなくって、気楽で好い。ただ朝から晩まで出歩いているから滅多につらまえる事が出来ない。
それから (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
建物がゆがんで映り、時とすると灰汁あくのような色をして飛んでいる空の雲が鳥のつばさのように映り、風のために裏葉をかえしている嫩葉わかばが銀細工の木の葉となって映った。
春心 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
適当の時期を見はからって、男衆はそれに一柄杓の灰汁あくを注ぎこむ。この時、まぜ手は油断してはならない。精一ぱいの速度で擂古木をまわさなければならないのである。
次郎物語:01 第一部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
白紙に明礬みやうばんとか南瓜かぼちやの汁とかニガリとか、灰汁あくとかいふもので、何にか書いてあるんぢやないかと思つたんだらうよ。が、矢張り唯の白紙だ、隱し文字も何んにもなかつたらしい
叱った声のけたたましさから察すると、恐らく四十か五十位のまだ充分この世に未練のありそうな男盛りだろうと思われたのに、もう九十近い痩躯鶴のごとき灰汁あくの抜けた老体なのでした。
物置へ行って、灰汁あくで二、三度洗って来ちゃあどうだね
半七捕物帳:03 勘平の死 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
そしていずれも文吉のいる多那川橋には近い。たゞそれ等の山椒の木は若木であるから、実は灰汁あくが強くて辛味も生々しい。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
灰の成分は主に種々の軽金属の酸化物で、なかんずく水に溶ける分は強いアルカリ性でいわゆる灰汁あくになる。
歳時記新註 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)