文政ぶんせい)” の例文
文政ぶんせい元年秋の事でここ八ヶ嶽の中腹の笹の平と呼ばれている陽当りのよい大谿谷には真昼の光が赭々あかあかと今一杯にし込んでいる。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
少なくとも文化ぶんか文政ぶんせい頃まではさかのぼろうと思う。極めて多量に生産せられたそろいものであって、販売せられた分布区域もはなはだ広汎こうはんである。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
だんだん話しているうちに、この老人は文政ぶんせい六年未年ひつじどしの生まれで、ことし六十九歳であるというのを知って、記者はその若いのに驚かされた。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
是がまことに怪我の功名と申すものかと存じます。文政ぶんせいの頃江戸の東両国大徳院だいとくいん前に清兵衛と申す指物の名人がござりました。
名人長二 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
伝へ聞く……文政ぶんせい初年の事である。将軍家の栄耀えよう其極そのきょくに達して、武家のは、まさに一転機をかくせんとした時期だと言ふ。
妖魔の辻占 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
九代、春延はるのぶ、幼名又四郎またしろう享和きょうわ三年家督かとくたまわる二百こく文政ぶんせい十二年三月二十一日ぼつ、か。この前はちぎれていて分らない。
孤島の鬼 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
一 柳亭種彦りゅうていたねひこ田舎源氏いなかげんじ』の稿を起せしは文政ぶんせいの末なり。然ればそのよわい既に五十に達せり。為永春水ためながしゅんすいが『梅暦うめごよみ』を作りし時の齢を考ふるにまた相似たり。
一夕 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
... 春琴はその第二女にして文政ぶんせい十二年五月二十四日をもってうまる」とある。またいわく、「春琴幼にして穎悟えいご、加うるに容姿端麗ようしたんれいにして高雅こうがなることたとえんに物なし。 ...
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
文政ぶんせい四年の師走しわすである。加賀かが宰相さいしょう治修はるなが家来けらい知行ちぎょう六百こく馬廻うままわやくを勤める細井三右衛門ほそいさんえもんと云うさむらいは相役衣笠太兵衛きぬがさたへえの次男数馬かずまと云う若者を打ちはたした。それも果し合いをしたのではない。
三右衛門の罪 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
それから明暦めいれき中の本になると、世間にちらほら残っている。大学にある「紋尽」には、伴信友ばんのぶともの自筆の序がある。伴は文政ぶんせい三年にこの本をて、最古の「武鑑」として蔵していたのだそうである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
これは享和きょうわ二年に十歳で指物師さしものし清兵衛せいべえの弟子となって、文政ぶんせいの初め廿八歳の頃より名人の名を得ました、長二郎ちょうじろうと申す指物師の伝記でございます。
名人長二 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
ジイボルトは蘭領印度インド軍隊の医官にして千八百二十三年(文政ぶんせい六年)より三十年(天保てんぽう元年)まで日本に滞在し絵画掛物かけものおよそ八百種を携へ帰りしといふ。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
それは下町の町人の娘で、文政ぶんせい四年生れの今年十三になるのであるが、ういふわけか此世このよに生れ落ちるとから彼女かれは明るい光を嫌つて、いつでも暗いところにゐるのをこのんだ。
梟娘の話 (新字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
繰返して言ふが、文政ぶんせい初年霜月しもつき十日の深夜なる、箱根の奥の蘆の湖のなぎさである。
妖魔の辻占 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
文政ぶんせい末年春三月、桜の花の真っ盛り。所は芝二本榎、細川侯の下邸だ。
善悪両面鼠小僧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
浮世絵は寛政かんせい文化ぶんかの盛時を過ぎ、文政ぶんせいりて改元の翌年春章しゅんしょうの後継者たる勝川春英かつかわしゅんえいを失ひ、続いて漫画略筆の名手鍬形蕙斎くわがたけいさい(文政七年歿)をかしめ
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
わが江戸の話は文政ぶんせい末期の秋のよいの出来事である。四谷の大木戸おおきど手前に三河屋といふ小さい両替店りょうがえみせがあつて、主人しゅじん新兵衛しんべえ夫婦と、せがれの善吉、小僧の市蔵、下女のお松の五人暮らしであつた。
赤膏薬 (新字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
これらの諸作はいづれも文政ぶんせい六年以後に板行はんこうせられしものにして、北斎が山水画家としてまた色彩家としてその技倆の最頂点を示したる傑作品たるのみに非らず
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)