小石川こいしかわ)” の例文
私が、まだ十一二の時、私のいえ小石川こいしかわ武島町たけじまちょうにありました。そして小石川の伝通院でんずういんのそばにある、礫川れきせん学校がっこうへ通っていました。
納豆合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
私はとうとう万世橋まんせいばしを渡って、明神みょうじんの坂を上がって、本郷台ほんごうだいへ来て、それからまた菊坂きくざかを下りて、しまいに小石川こいしかわの谷へ下りたのです。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
小石川こいしかわ竹早町たけはやちょうなる同人社どうにんしゃの講師としてすこぶ尽瘁じんすいする所ありしに、不幸にして校主敬宇けいう先生の遠逝えんせいい閉校のむなき有様となりたるなり。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
桜のさく或日の午後ひるすぎ小石川こいしかわいえから父と母とに連れられてここまで来るには車の上ながらも非常に遠かった。東京のうちではないような気がした。
霊廟 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
この、小石川こいしかわ金剛寺坂こんごうじざかのあたりは、上水にそってが多い。枝の影が交錯して、畳いっぱいにはっている。ゆれ動いている。戸外は風があるのだ。
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
私はある日、母につれられて、小石川こいしかわの大学植物園へいった。十歳ぐらいの時であったろう。母は私にむかって言った。
私の歩んだ道 (新字新仮名) / 蜷川新(著)
二十余年の昔、小石川こいしかわの仮り住まいの狭い庭へたらいを二つ出してその間に張り板の橋をかけ、その上に横臥おうがして風の出るのを待った夜もあった。
涼味数題 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
小石川こいしかわ白山はくさん神社の坂を下りて登った処は本郷で、その辺を白山うえといいます。今残っている高崎屋の傍から曲って来て、板橋いたばしへ行く道になります。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
深川ふかがわ、浅草、日本橋にほんばし京橋きょうばしの全部と、麹町こうじまち、神田、下谷したやのほとんど全部、本郷ほんごう小石川こいしかわ赤坂あかさかしばの一部分(つまり東京の商工業区域のほとんどすっかり)
大震火災記 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
「そうか。じゃ先生はもう御出かけになりましたでしょうかってね。番号は小石川こいしかわの×××番だから、——」
お律と子等と (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
青蛙堂せいあどう小石川こいしかわ切支丹坂きりしたんざか、昼でも木立ちの薄暗いところにある。広東カントン製の大きい竹細工の蝦蟆がまを床の間に飾ってあるので、主人みずから青蛙堂と称している。
それを取り巻いて山の手の芝、麻布あざぶ、赤坂、四谷、牛込うしごめ小石川こいしかわ、本郷などの低地が同様に燃え始める。
地異印象記 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
買上げた宝石を、誰に与えるのか、夫人も子供もない全くの独り者で、小石川こいしかわ区内の、もと旗本はたもとの邸だという、古い大きな家を買求めて、数人の召使と共に住んでいた。
魔術師 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
金杉稲荷かなすぎいなりのある、小石川こいしかわ玄性寺げんじょうじわきのお屋敷に住んでいられましたが、今もうし上げたようなわけなので、あちきもたまりかね、玄性寺の塀越しになりと、ひと目お姿を見たく思い
平賀源内捕物帳:萩寺の女 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
小石川こいしかわ音羽おとわに近く、鼠坂ねずみざかという有名な坂があった。その坂は、音羽の方から、小日向台町こひなただいまちの方へ向って、登り坂となっているのであるが、道幅が二メートルほどの至って狭い坂だった。
西湖の屍人 (新字新仮名) / 海野十三(著)
「だれがもうこんなわがままな人の所に来てやるものか」そう思いながら、生垣いけがきの多い、家並やなみのまばらな、わだちの跡のめいりこんだ小石川こいしかわの往来を歩き歩き、憤怒の歯ぎしりを止めかねた。
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
そこで、諭吉ゆきちは、あさはやくおきて、鉄砲洲てっぽうずから森山先生もりやませんせいのすんでいる小石川こいしかわまで、八キロメートルあまりを、てくてくとあるいてかよいはじめました。ところが、森山先生もりやませんせいいえについてみると
故郷くにの父親が病気になったと云う電報を遅く受取って、牛込うしごめ天神町てんじんちょうへ往き、もう寝ていた先輩を起して旅費を借り、小石川こいしかわ原町はらまちの下宿へ帰るつもりで、十二時近くなって大日坂だいにちざかまで来たところで
指環 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
鉄三郎が徳安とくあんと改め、維新後にまた磐と改めたのである。磐の嗣子信治しんじさんは今赤坂あかさか氷川町ひかわちょうの姉壻清水夏雲しみずかうんさんのもとにいる。三十九年には脩が入京して小石川こいしかわ久堅町ひさかたちょう博文館印刷所の校正係になった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
とうに人のものになってしまったのですが、ご存じでいらッしゃいましょう、小石川こいしかわの水道橋を渡って、少しまいりますと、大きなえのきが茂っている所がありますが、私はあの屋敷に生まれましたのです。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
芳崖先生は私が這入った時には、既に故人となっておりました。氏は美術学校の前身が小石川こいしかわの植物園にあって、まだ美術取調所といった時分から這入っていられたので、その時代は彼のフェノロサ氏が日本美術を
それに乗って私は、小石川こいしかわの河田さんの家へ行った。
女「はい唯今では小石川こいしかわ餌差町えさしまちに居ります」
霧陰伊香保湯煙 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
小石川こいしかわ高田あかなすのや(浅茅庵)。
五百句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
四月枕山は画家福田半香ふくだはんこうの碑文を撰した。半香は渡辺崋山わたなべかざんの門人。元治甲子の年八月二十一日六十一歳で没し、小石川こいしかわ餌差町えさしちょう善雄寺に葬られた。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
ある日私はまあうちだけでも探してみようかというそぞろごころから、散歩がてらに本郷台ほんごうだいを西へ下りて小石川こいしかわの坂を真直まっすぐ伝通院でんずういんの方へ上がりました。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「チェッ! 火事は渋江村しぶえむら、ときやがら。こちとら小石川こいしかわ麻布あざぶは江戸じゃアねえと思っているんだ。しぶえ村とはおどろいたネ。おどろき桃の木山椒さんしょうの木……」
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
明暦三年の振袖火事ふりそでかじでは、毎日のように吹き続く北西気候風に乗じて江戸の大部分を焼き払うにはいかにすべきかを慎重に考究した結果ででもあるように本郷ほんごう小石川こいしかわ
函館の大火について (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
しかし小石川こいしかわに住んでいる内田はなかなかやって来る様子も見せなかった。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
小石川こいしかわ富坂町とみざかまちというのがある。富坂はトビ坂から転じたので、昔はここらの森にたくさんの鳶が棲んでいた為であるという。してみると、江戸時代には更にたくさんの鳶が飛んでいたに相違ない。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
東京小石川こいしかわの某町に、葛西かさいと云って、もと幕臣であった富裕な家があって、当主の芳郎よしろうと云うのは仏蘭西フランスがえりの少壮民権家として、先輩から望みをしょくされていた。微曇うすぐもりのした風の無い日であった。
赤い花 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
市中しちゅうの散歩は子供の時から好きであった。十三、四の頃私のうちは一時小石川こいしかわから麹町永田町こうじまちながたちょうの官舎へ引移ひきうつった事があった。勿論もちろん電車のない時分である。
「そうさね。東京は馬鹿に広いからね。——何でも下町したまちじゃねえようだ。やまだね。山の手は麹町こうじまちかね。え? それじゃ、小石川こいしかわ? でなければ牛込うしごめ四谷よつやでしょう」
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
電話が自働式に変わると同時に所属局が「小石川こいしかわ」から「大塚おおつか」に移り、さらにまた番号がもとより三〇〇〇だけ数を増した。なんだか自分のうちが遠い所へ持って行かれたような気がする。
柿の種 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
「おお、小石川こいしかわの伯母上、どうしてここへ……」
番町皿屋敷 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
君江は毎年夏になって、貸ボートが夜ごとににぎやかになるのを見ると、いつもきまって、京子の囲われていた小石川こいしかわの家へ同居した当時の事をおもい出す。
つゆのあとさき (新字新仮名) / 永井荷風(著)
二人はそれぎり話を切り上げて、小石川こいしかわの宿の方に足を向けました。割合に風のない暖かな日でしたけれども、何しろ冬の事ですから、公園のなかはさびしいものでした。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「学校はどこ……小石川こいしかわ?、○○? △△?……」
写生紀行 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
それまで竜子は小石川こいしかわ茗荷谷みょうがだにの小じんまりした土蔵付の家に母と二人ぎり姉妹きょうだいのようにくらして来た。
寐顔 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
赤門あかもんの前を通るはずの電車は、大学の抗議で小石川こいしかわを回ることになったと国にいる時分新聞で見たことがある。三四郎は池のはたにしゃがみながら、ふとこの事件を思い出した。
三四郎 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
枕山の没した後その遺族はいくばくもなくして花園町の家を去り小石川こいしかわ指ヶ谷町さしがやちょうに移転した。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
祖母に育てられた俚諺りげんにも三もんやすいと言われているのも無理ではない。わたくしは小石川こいしかわなる父母の家を離れて下谷なる祖母の家に行くことをいかにうれしく思ったであろう。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
半蔵門はんぞうもん、半蔵門でございます。九段くだんいち本郷ほんごう神田かんだ小石川こいしかわ方面のおかたはお乗換え——あなた小石川はお乗換ですよ。お早く願います。」と注意されて女房は真黒まっくろな乳房をぶらぶら
深川の唄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
久しく一緒に住んで共に私娼ししょうをしていた京子という女が、いよいよ小石川こいしかわ諏訪町すわちょうの家をたたんで富士見町ふじみちょうの芸者家に住込む事になったので、泣きの涙で別れ、独り市ヶ谷本村町ほんむらちょうの貸二階へ引移り
つゆのあとさき (新字新仮名) / 永井荷風(著)
わたしは都会の北方を限る小石川こいしかわの丘陵をば一年一年に恋いしく思返す。
伝通院 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
その頃わたくしの家は生れた小石川こいしかわから飯田町いいだまちへ越していたので、何かの折、その辺を歩き過る時、ぽつりぽつりと前後なくその頃の事が思い出される。昨夜見た夢を覚めた後に思返すようなものだ。
向島 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
私の生れた小石川こいしかわには崖が沢山あった。