すなはち)” の例文
日本中に、鱗や八重歯を一族の特徴とする家が、かなりある様である。此がすなはち前に言ひ置いた浦野一族の乳の特徴と一つのものである。
信太妻の話 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
これを國民こくみん頭割あたまわりにしてますと、一人いちにんにつき平均へいきん五反五畝五歩ごたんごせごぶあたります。すなはち皆樣みなさま五反五畝五歩ごたんごせごぶ森林しんりんなか一人ひとりづゝめる勘定かんじようです。
森林と樹木と動物 (旧字旧仮名) / 本多静六(著)
れでわたくし反應はんおうしてゐます。すなはち疼痛とうつうたいしては、絶※ぜつけうと、なんだとをもつこたへ、虚僞きよぎたいしては憤懣ふんまんもつて、陋劣ろうれつたいしては厭惡えんをじやうもつこたへてゐるです。
六号室 (旧字旧仮名) / アントン・チェーホフ(著)
又定生の外祖母と稱するものも別本に見えてゐる。「貞圓妙達比丘尼びくに、天明七年丁未ていび八月十一日」と書し、深川佐賀町一向宗と註してあるものがすなはちこれである。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
すなはち彼の煽動せんどうによつて、人工的にインスピレエシヨンを製造する機会がなかつたなら、生涯一介の読書子たるに満足して、小説なぞは書かなかつたかも知れない。
あの頃の自分の事 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
巴豆はづといひ附子ぶしといふも皆是薬、障礙しやうげ悪神あくじん毘那耶迦びなやかも本地はすなはち毘盧沙那如来びるしやなによらい、此故に耆婆きばまなこを開けば尽大地の草木、保命ほうみやうの霊薬ならぬも無く、仏陀ぶつだ教を垂るれば遍虚空へんこくう鬼刹きせつ
二日物語 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
われすなはち神となりたる也。感謝す、予はこの驚絶、駭絶の意識をば、直接に、端的に、神より得たり、一毫いちがう一糸だに前人の証権をなかだちとし、しくは其の意識に依傍したる所あらざる也。
予が見神の実験 (新字旧仮名) / 綱島梁川(著)
そして、仕事すなはち生活で悉く私は血眼の受験生になつてゐるのであつた。
すなはちこれ閏年じゆんねんなり。
改暦弁 (旧字旧仮名) / 福沢諭吉(著)
此国風の中で、一種特別なものが、東歌であつて、すなはち東の風俗である。不思議な事に、此東の歌や儛は、大嘗祭には参加しない。
大嘗祭の本義 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
それから、先の事は、あらゆるこの種類の話のやうに、至極、円満にをはつてゐる。すなはち、牛商人は、首尾よく、煙草と云ふ名を、云ひあてて、悪魔に鼻をあかさせた。
煙草と悪魔 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
すなはち、そこは灌木帶かんぼくたいといふところで、こと偃松はひまつにつくので、偃松帶はひまつたいともいつてゐます。偃松はひまつ地上ちじよう二三尺にさんじやくのところにうでばし、ひぢつたように、えだ四方しほうにひろげてゐます。
森林と樹木と動物 (旧字旧仮名) / 本多静六(著)
ひとり謫天情仙じやうせんのみ舊にりて、言ふことまれなれども、あたること多からむことを求むるに似たり。この間別に注目すべき批評家二人をつ。そをたれとかする。逍遙子せうえうしと露伴子とすなはちこれなり。
柵草紙の山房論文 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
くらだながすなはち倉で、倉の神が玉であり、同時に、天照皇大神の魂のしんぼるであり、また米のしんぼるとして、倉棚に据ゑられたのである。
たなばたと盆祭りと (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
予は満面の喜色を以て予の患者を診察し、ひまあればすなはち本多子爵と共に、好んで劇を新富座に見たり。
開化の殺人 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
それゆゑ芝葛盛さんに乞うて此等の事を記してもらつた。下の文がすなはち此である。
津下四郎左衛門 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
一年中いちねんじゆうでもその若葉わかばがどうしてあんなにあか緑色みどりいろうつくしいいろあらはすのかといひますと、そのいろ表面ひようめん部分ぶぶんすなはち表皮ひようひや、内部ないぶ細胞さいぼうなか紅色こうしよくやそのいろふくまれてゐるためですが
森林と樹木と動物 (旧字旧仮名) / 本多静六(著)
こゝに言ふ武家初期と、中期全体、それに末期すなはち江戸のさしかゝりまでは、かうした隠者が文学の本流になつて居るのである。
支那に龍陽りやうやうしよくを売る少年を相公しやうこうと云ふ。相公の語、もと像姑しやうこより出づ。妖嬈えいぜうあたか姑娘こぢやうの如くなるを云ふなり。像姑相公同音相通ず。すなはち用ひて陰馬いんばの名に換へたるのみ。
しかし此人と石の夫師岡久次郎の兄事した山崎某とは別人で、山崎某は過去帳の一本に「清譽凉風居士、文久元酉年とりのとし七月二十四日、五郎作兄、行年四十五歳」と記してあるのが、すなはちこれであらう。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
だから、今度の「新古今抄」すなはち隠岐本は、其意味に於て、院の歌風・鑑識を徹底的に示した、理想的な「新古今集」と言ふことが出来よう。
すなはち文化の一具を欠くものと謂可いふべし。(中略)余ここに感ずる所あり。寸暇すんかを得るの際、米仏とうの書をひもとき、その要領を纂訳へんやくしたるもの、此冊子さつしを成す。よつて之を各国演劇史となづ
本の事 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
わたくしの附記して置きたいのは、茶山の病が独り此消食管せうしよくくわん壅塞ようそくすなはち所謂いはゆる嗝噎かくえつのみではなかつたと云ふことである。わたくしはかみの甲申旺秋後の茶山の書牘を引くに当つて、其全文を写し出した。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
すなはち鹿・蟹に対する呪言及び其副演の間に、当の田畑を荒す精霊(鹿・蟹を代表に)に扮した者の誓ふ身ぶりや、覆奏詞カヘリマヲシがあつたに違ひない。
府史の蔵本はなはだしん明日みやうにち借り来つて示すべしと。翌日すなはち之を見れば、風枝抹疎ふうしまつそとして塞煙さいえんを払ひ、露葉蕭索ろえふせうさくとして清霜を帯ぶ、あたか渭川ゐせん淇水きすゐかんに坐するが如し。かん感歎あたはず。
すなはち魂をくつ附けて、離さぬやうにするのである。鎮詞といふのは、その言葉なのである。それ故、鎮詞・鎮護詞などゝ書かれてゐるのである。
呪詞及び祝詞 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
勿論文体すなはち作品と云ふ理窟なければ、文体さへ然らばその作品が常にあらたなりとは云ふべからず。されど文体が作品の佳否かひに影響する限り、絢爛けんらん目を奪ふ如き文体が存外ぞんぐわい古くなる事は、ほとんど疑なきが如し。
雑筆 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
今の厄祓ひが人である様に、実は、昔も人間が仮装して来たのだ。すなはち其期間は、神であると言ふ信仰をもつてやつて来る。
万葉集の解題 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
大体長寿者のとこよは、常世の国の意義が絶対の齢すなはち不死の寿命と言ふ意に固定してから岐れたものと見るが正しからう。
「おめでたう」はお正月の専用語になつたが、実は二度の藪入りに、子と名のつく者すなはち子分・子方が、親分・親方の家へ出て言うた語なのである。
若水の話 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
神道家は、現神アキツミカミを言語の上の譬喩だ、と思うてゐるが、古代人は、主上を、肉体をもつた神すなはち現神と信じてゐたのだ。
古代人の思考の基礎 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
愛も欲も、猾智も残虐も、其後に働く大きな力のまますなはち「かむながら……」と言ふ一語に籠つて了ふのであつた。
万葉びとの生活 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
仁徳朝・雄略朝などの伝説ある歌も載せてゐるが、大体に於て、飛鳥末、すなはち舒明・皇極朝頃からの記録である。
万葉集研究 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
天皇の仰つしやるのりとごとに対する御返事、すなはち返し祝詞・返り申しを古い言葉で、寿詞といふ。毎年、初春に奏する寿詞は、約束をきりかへるものであつた。
呪詞及び祝詞 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
「しゞま」を守るべき庶物の精霊が「ことゝふ」時は、常に此等の上にあるべき神の力が及ばぬ様になつてゐる事を示してゐる。すなはち神の留守と言つた時である。
第一期の宮廷詩すなはち記・紀の大歌は、巫覡の空想と言ふ事を考へに入れると、伝説上の作者は信ぜられぬ。
万葉集研究 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
すなはち抒情的叙事詩なのだ。其が一転して、たとひやはり、叙事的情調を亡くせないまでも、抒情的になつた叙事的抒情詩として、対話的問答式の意義が深められて行つた。
日本文学の発生 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
其初まりを説きアカす、すなはち歌或は諺の「本縁」——背景たる事実——と言ふ事と、二方面の為事をしたものが語部で、一つは、族長及びその子弟の教養に、一つは儀礼の為に
日本文学の発生 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
或は愛護を殺した者を、梅若殺しの、忍の惣太風の細工小次郎として、後に髯意休すなはちえたと言ふ様な趣向で、臭い/\と言ふ助六の喝破の源流をなしたものかも知れぬ。
愛護若 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
寺奴にも段階があつて、寺主に候ふ者・剃髪を許された者・寺中に住める者・境外すなはち門前或は可なり離れた地に置かれて居た者などがある。其最下級の者が、童子村の住民であつた。
其が段々変化して、遂には「仰せ事の通りに出来ました」と云つて、生産品を奉つて、所謂食国の祭事をするのが、奉る即まつる事になつたのである。すなはち覆奏で、まをすと転じたのだ。
神道に現れた民族論理 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
其と共に、乞食行法で生計を立てるものは、寺の所属と認められ、ほかひゞとすなはち寺奴の唱門師となつたのであらう。さうでない者は、村に定住して農耕の傍、ほかひをする様になつた。
なるこ・てるこは、北方すなはち道の島風であり、まや・いちきは南方、先島サキジマ風の呼び名である。而も更に驚くのは、やはり右の渡り神を、場合によつては、あまみ神とも言うてゐる事である。
琉球の宗教 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
すなはち歴代の主上に、日置部或は日置大舎人部又略して大舎人部として、仕へた人である。場合によつては、其大舎人部が、ある代の主上を記念するに適当な特殊な名号を称することもあつた。
日本文学の発生 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)