すがた)” の例文
「それは写真というもので、筆や絵具でかいたのではない、機械でとって薬で焼きつけたしょうのままのすがたじゃ、日本ではまだ珍らしい」
大菩薩峠:13 如法闇夜の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
わたしの心耳に、それらのすがたが交錯した瞬間、わたしは理髪舗のたかい椅子から、はずんだ鞠のやうに転げおちてしまつた。
希臘十字 (新字旧仮名) / 高祖保(著)
自分のすがたを曝し者にしてくれと言った小紫の心持にそむくばかりでなく、かえって小紫の罪業を重ねたようなもので御座います。
血の権のにえは人の権なり。われおいたれど、人のなさけ忘れたりなど、ゆめな思ひそ。向ひの壁に掛けたるわが母君のすがたを見よ。
文づかひ (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
かかるとき人は、もはやおのれの周囲にある事物は目に止まらず、おのれの精神のうちにあるすがたをおのれの外にあるかのように目に見るものである。
樹島はしずかに土間へ入って、——あとで聞いた預りものだというぶつ菩薩ぼさつの種々相を礼しつつ、「ただ試みに承りたい。おおきなこのくらいのすがたを一体は。」
夫人利生記 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
忽ちグッタリ仰向けに寝倒れたまま空洞うつろまなこを閉ぢもしないで、次から次、次から次へと取り止めもない物のすがたを額へ運んだ、全く何等の意識もなしに。
竹藪の家 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
一緒に出てきた紅錦こうきんまも札袋ぶくろ——それには、紺紙金泥こんしきんでいの観音のすがたに添えて、世阿弥とお才とが仲の一女、お綱の干支えと生れ月までが、明らかにしるしてあった。
鳴門秘帖:02 江戸の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それは「神聖な喜劇デイヴイナ・コメデイア」でもなく「人間喜劇コメデイ・ユメエヌ」でもなく、実に「神々の喜劇コメデイ・デイヴイニテ」である。即ち神それ自身、それは人間の永遠なるすがたに於けるその神々の悲劇喜劇である。
人形芝居に関するノオト (新字新仮名) / 竹内勝太郎(著)
温度の相違などに依って空気の密度が局部的に変った場合、光線が彎曲わんきょくして思いがけない異常な方向に物のすがたを見る事があるね。所謂いわゆるミラージュとか蜃気楼とかって奴さ。
石塀幽霊 (新字新仮名) / 大阪圭吉(著)
即ち或る人々は、俳句を以て単に象徴主義の徹底した表現と解しており、自然レアールに於ける真実のすがたとらえ、物如の智慧深い描写をすることで、表現の本意が尽きると考えている。
詩の原理 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
ここに演じまする一齣いっしゃくの劇曲は、暗い、苦しい一時いっときの鏡中のすがたをばお目にかけるのです。
デュアック 彼等は「王は我々の理想のすがたをほろぼした」と申しております。
ウスナの家 (新字新仮名) / フィオナ・マクラウド(著)
立ちならぶ仏のすがたいま見ればみな苦しみに耐えしみすがた
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
そのなかで或すがたの芽ばえてゐる窓。
(旧字旧仮名) / ライネル・マリア・リルケ(著)
真白ましろなる大理石なめいしをとこすがた
邪宗門 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
今はその下駄とも違って、不動明王のおすがただから、担ぎ出しは担ぎ出したものの、その心の中の苦心は容易なものではありません。
大菩薩峠:20 禹門三級の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
いかに、とるにらないあぶれ者とはいえ、一ねんに自分の信仰しんこうする地蔵菩薩じぞうぼさつのおすがたを、馬糞まぐそだらけな土足にかけられては、もうかんべんすることができない!
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
人のすがたへ具像化するには仇おろそかな年月にては及ぶまい——骨董を玩味するほどの軽い気持で一寸皮肉を
竹藪の家 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
一生に一度の腕を揮って私のすがたを彫り、諸人の前に曝し物にして、せめては深い罪業の一部でもつぐなわして貰い度い、生涯に何百人とも知れぬ首を切ったくめの平内様は
金石かないわ街道の並木にあります叢祠ほこらすがたなぞは、この女神が、真夏の月夜に、近いあたりの瓜畠うりばたけ——甜瓜まくわのです——露の畠へ、十七ばかりの綺麗な娘で涼みに出なすった。
河伯令嬢 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
即ちその一は「描写」であって、美術や小説がこれに属する。描写とは、物の「真実のすがた」を写そうとする表現であり、対象への観照を主眼とするところの、知性の意味の表現である。
詩の原理 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
何しろ名医は名医さ、古河公方こがくぼうを中心にして、関東の平野を縄張りにしていたのだが、長谷村の一向寺というのにおすがたがあって、神様扱いを受けている。
大菩薩峠:26 めいろの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
かりに、こういう寺にも、仏心のある菩薩ぼさつすがたがすえられていたならば、むしろ、焼けた方がよいと、大紅蓮だいぐれん厨子ずしのなかで、あざ笑っているかもしれません。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
にじとばり、雲の天蓋てんがいの暗い奥に、高く壇をついて、仏壇、廚子ずしらしいのが幕を絞って見えますが、すぐにすがたが拝まれると思ったのは早計でした。第一女神じょしんでおいでなさる。
河伯令嬢 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
やうやくすがたがわかるくらゐの明るさだつたが、現れる人像の一つ一つがきまつたやうに同じ服装いでたちの女ばかりで、丁度ちやんちやんこのやうな厚い感じの仕事着にもんぺをはき
逃げたい心 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
その一人はお銀様もよく知っている駒井能登守のすがたでありました。それと並んだ一人は女の像でありました。
大菩薩峠:13 如法闇夜の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
かれはふと、そこへ蹴飛けとばされてきた地蔵菩薩じぞうぼさつのおすがたに目をとめた。られても、足にかけられても、みじん、つねの柔和にゅうわなニコやかさとかわりのない愛のお顔。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
祖師のおすがたでござりますが、喜撰法師のように見えます処が、わざの至りませぬ、不束ふつつかゆえで。
夫人利生記 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
人のすがたは分らないが、ガサ/\と草をわけて逃げる物音がきこえてゐた。
逃げたい心 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
そこで米友が思うには、これを打捨うっちゃるにしても不動尊である、有難がっても有難がらなくっても、不動明王のおすがたである。芥溜ごみための中へ打捨るわけにはゆかない。
大菩薩峠:20 禹門三級の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
絵なり、すがたなり、天女、美女、よしや傾城けいせい肖顔にがおにせい、美しい容色きりょうたと云うて、涙を流すならば仔細しさいない。誰も泣きます。鬼瓦さながらでは、ソッとも、嘘にも泣けませぬ。
白金之絵図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
もっとも、本体の石神様自身が、神か仏かただの人間か、古色蒼然そうぜんとして、名もなく、わけもわからぬおすがたを持っているのでありますから、祭祀さいしの方法もまた、これでいいのかも知れません。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
せめて女の軽々とした足どりが家の中まで這入るところを突きとめたいと思つたのだが、女のすがたに出会ふといつても稀れなことで、家もまばらなことであり、さういふことにはぶつからなかつた。
逃げたい心 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
サラサラと金襴きんらんとばりを絞る、燦爛さんらんたる御廚子みずしのなかに尊きすがたこそ拝まれたれ。
竜潭譚 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
と言ってズブリ——その女のすがたの面をめがけてつきとおそうとしました。
大菩薩峠:13 如法闇夜の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
足を速めて西へ西へ海原を歩くすがたを見出してゐた。
黒谷村 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
サラサラと金襴きんらんとばりしぼる、燦爛さんらんたる御廚子みずしのなかにとうとすがたこそ拝まれたれ。
竜潭譚 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)