不軌ふき)” の例文
家へ帰った王給諌は上疏じょうそして王侍御が不軌ふきはかっているといって、元豊から剥ぎとった服と冕を証拠としてさし出した。
小翠 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
し実際将門が謀反をあへてしようとして居たならば、不軌ふきはかるほどの者が、打解けて語らつたことも無い興世王や経基の処へわざ/\出掛けて
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
一番目「楼門五三桐さんもんごさんのきり」は五幕に分る。宋蘇卿明そうそけいみん真宗しんそうの命に此村大炊之助このむらおおいのすけと名乗り、奴矢田平やだへいと共に真柴久次ましばひさつぐに仕へ、不軌ふきを謀りしが、事あらわれて自尽じじんす。
両座の「山門」評 (新字旧仮名) / 三木竹二(著)
大津皇子は天武天皇崩御の後、不軌ふきを謀ったのがあらわれて、朱鳥あかみとり元年十月三日死を賜わった。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
なんとくしたがそのもつとおほい(五三)彰明しやうめい較著かうちよなる者也ものなり近世きんせいいたるがごとき、(五四)操行さうかう不軌ふきもつぱ(五五)忌諱ききをかし、しか終身しうしん逸樂いつらくし、富厚ふうこうかさねてえず。
故に彼らはいわゆる浪人の身となった結果、往々生活に窮し、ややもすれば暴行を働いて良民を苦しめ、あるいは乱を思い不軌ふきを謀る者さえ生じたのは、けだし自然の勢ともいうべきであろう。
法窓夜話:02 法窓夜話 (新字新仮名) / 穂積陳重(著)
悔悟すれども膺懲ようちょうの奇策なければ淪胥りんしょともほろぶるの外致し方なし。はたまた京師の一条も幕府最初の思い過ちにて、追々糺明きゅうめいあればさまで不軌ふきを謀りたる訳にこれ無く候えば、今また少しく悔ゆ。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
有間皇子ありまのみこ(孝徳天皇皇子)が、斉明天皇の四年十一月、蘇我赤兄そがのあかえあざむかれ、天皇に紀伊の牟婁むろの温泉(今の湯崎温泉)行幸をすすめ奉り、その留守に乗じて不軌ふきを企てたが
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
しかるに奸臣跋扈ばっこし、禍を無辜むこに加え、臣が事を奏するの人をとらえて、箠楚すいそ[#「箠楚」は底本では「※楚」]刺縶ししつし、つぶさに苦毒を極め、迫りて臣不軌ふきを謀ると言わしめ、遂に宋忠、謝貴
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)