藤原惺窩ふじわらせいか)” の例文
秀吉ひでよしがキリシタン追放令を発布してから六年後の文禄二年(一五九三)に、当時五十二歳であった家康は、藤原惺窩ふじわらせいかを呼んで『貞観政要じょうがんせいよう』の講義をきいた。