芦峅寺あしくらじ)” の例文
『越中遊覧志』(此書の著者は明治十八年八月芦峅寺あしくらじから立山に登った)を見ると別山べっさんから劒岳方面を展望した記事の後に次のように書いてある。
立山温泉から芦峅寺あしくらじまで、人のいやがる長い路だが、一里ごとに人間の仕事の跡が増して行って面白かった。
可愛い山 (新字新仮名) / 石川欣一(著)
芦峅寺あしくらじにては、劍山の道案内を知れる者有之候えども秘伝として、みだりに人に伝えず、極めて高価の案内料をむさぼりて、まれに道案内をなせしことあるのみなりしが、今回の事にて
越中劍岳先登記 (新字新仮名) / 柴崎芳太郎(著)
その競争者というのは芦峅寺あしくらじの佐伯某というもので、明治三十九年の九月に、此山の裏手毛勝けかち谷の東北面に当る緩傾斜地を登って頂上に出たようである。
越中劒岳 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)