このようなさわがしさのなかで、緒方洪庵先生おがたこうあんせんせいが、急病きゅうびょうでなくなりました。それは、文久ぶんきゅう三(一八六三)ねんがつ十日とおかのことでした。
「しかし、緒方洪庵先生おがたこうあんせんせいといえば、大阪おおさかでもゆうめいな医者いしゃですよ。その医者いしゃのところへ砲術ほうじゅつしゅぎょうにいくというのは、おかしいではありませんか。」