“範俊”の解説
範俊(はんしゅん、長暦2年(1038年) - 天永3年4月24日(1112年5月21日))は、平安時代後期の真言宗の僧。父は興福寺大威儀師仁静。
初め興福寺伝法院末明に師事し、その後小野曼荼羅寺(後の随心院)成尊僧都から金剛界・胎蔵界の両部の秘法を学んだ。1082年(永保2年)祈雨法を修して霊験を著したが、義範の妨害にあい那智山に隠遁した。その後、白河天皇は範俊を召し出して小野曼荼羅寺に住まわせ、堀河天皇に譲位した後はその護持僧とした。1100年(康和2年)興福寺寺務、1106年(嘉承元年)東寺長者、1110年(天永元年)権僧正に至った。
(出典:Wikipedia)
初め興福寺伝法院末明に師事し、その後小野曼荼羅寺(後の随心院)成尊僧都から金剛界・胎蔵界の両部の秘法を学んだ。1082年(永保2年)祈雨法を修して霊験を著したが、義範の妨害にあい那智山に隠遁した。その後、白河天皇は範俊を召し出して小野曼荼羅寺に住まわせ、堀河天皇に譲位した後はその護持僧とした。1100年(康和2年)興福寺寺務、1106年(嘉承元年)東寺長者、1110年(天永元年)権僧正に至った。
(出典:Wikipedia)