濫僧ろうそう)” の例文
空也上人は延喜の頃に生れた人で、ちょうどかの濫僧ろうそうすなわち非人法師の徒が、しきりに発生した時代の人である。
賤民概説 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
その頃の世人がキヨメをもエタと呼んでいた証拠であって、かねて事知らぬものは濫僧ろうそうをも、乞食・非人をも、同一にみておったことを知るに足るのである。
濫僧ろうそうとは前記餌取法師の徒で、肉食妻帯の下司げす法師ではあるが、もちろんそれ自身餌取ではない。
「民族と歴史」八巻五号所載「旃陀羅考」中にちょっと述べておいた濫僧ろうそうの事を、今少し精しく考証してみる。「旃陀羅考」中にも引いておいた「延喜式」の臨時祭式の文に
古来最も有名なのは祇園の犬神人つるめそで、彼らはもと沓作りを業としたというが、後にはもっぱら弓弦売として世に知られ、宿しゅくとも唱門師しょうもんじとも呼ばれて、やはり濫僧ろうそうの徒であった
したがって、「家に妻子を蓄え口に腥膻なまぐさを喰う」と言われ、「形は沙門の如く心は屠児の如し」と言われた濫僧ろうそう、すなわち河原の者、坂の者、散所の者等は、自然仏縁に遠いものとならざるをえぬ。
賤民概説 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
これいわゆる濫僧ろうそうなるもので、その屠児に似たという事から、「延喜式」ではこれを濫僧屠者と並称しているのであるが、鎌倉時代にはその濫僧をも通例ただちに屠者すなわちエタと呼んだとの事が
牛捨場馬捨場 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
これすなわちいわゆる濫僧ろうそうである。
賤民概説 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)