柳沢やなぎさわ)” の例文
綱吉の“柳沢やなぎさわり”といって、町でも評判な柳沢吉保よしやすのやしきへ出かけた回数も、五十数回という頻繁ひんぱんさだった。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かれの勢力と徒党をたのんでいよいよ藩務をみだし、紋太夫はますます権門柳沢やなぎさわに接近し、大奥の縁故を通じて、その陰謀をあらわにし、まずご当主を退けてから、世子せいし吉孚よしのぶ君には、病弱の名を負わせ
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「貴さまが、幕府のまわし者や、柳沢やなぎさわの刺客でなくば、いってもかまうまい。——それとも、貴さまもまた、わが水藩すいはんの毒むし、家老の藤井紋太夫ふじいもんだゆうにこびて、柳沢にとり入り、ケチな出世の割前にありつきたいか」
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「じゃあまだ柳沢やなぎさわさまのおやしきへ行っているのか」
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)